神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

アブデーラ(3):ペルシアの支配のもとで

テオース人によって再建されたアブデーラの町は、ギリシア世界と内陸部のトラーキアとの間の交易の中継点として栄えました。しかし、彼らが嫌ったペルシアの支配からは結局30年ちょっとの間しか逃れることが出来ませんでした。というのはBC 513年、ペルシアの将軍メガバゾスがトラーキア地方を征服し、その際にアブデーラも支配下に組み入れられてしまったからです。

・・・・ペリントス攻略の後、メガバゾスはトラキアを通って軍を進め、この地方の町および民族をことごとく大王に帰属させた。トラキアを平定せよという指令を、(ペルシア王)ダレイオスから受けていたからである。


ヘロドトス著「歴史」巻5、2 から

この時アブデーラがペルシア軍に対して抵抗したのかどうかをヘーロドトスは記していません。おそらく抵抗しなかったのだと思います。かつてテオースから逃げたようになぜ逃げて別の場所に植民市を作らなかったのでしょうか? その理由はよく分かりません。逃げても無駄だと思ったのか、あるいはペルシアの支配がそれほど厳しくはないとこの30年の間に分かってきたのか。ひょっとしたら、神託のたぐいがアブデーラの人々に逃げることを禁じたのかもしれないと、想像します。


こののちBC 499年にはイオーニアの反乱が起きますが、アブデーラは反乱には参加していないようです。というのはヘードロトスは、イオーニアの反乱の鎮圧後にペルシア軍が各地を平定していく様子を記述していますが、その中にアブデーラやその近辺の地は含まれていないからです。さらにアブデーラやその近辺の地はすでに隷属しているものという前提で、その西のマケドニアの征服のことを書いています。

・・・・彼らはできる限り多くのギリシア都市を征服する心組みであったから、反撃の態勢すら示さなかったタソスを海軍によって征服するとともに、陸上部隊によってマケドニア人を討ち、すでにペルシアの隷属下にある民族にこれを加えたのである。というのはマケドニアより手前のペルシア寄りに済む民族は、すでにことごとく隷属していたからである。


ヘロドトス著「歴史」巻6、44 から

これらのことから、アブデーラは反乱に参加していなかったと推測します。


さて、上の引用にあるようにアブデーラの沖合にあるタソス島マケドニアの征服と同じ年にペルシアに征服されました。BC 491年のことでした。アブデーラはペルシアの意を受けて、タソスが謀叛を企てないか監視していたようです。

その翌る年ダレイオスは先ず、タソスが謀叛を企てているという隣国からの訴えがあったので、タソスに使者を送り、城壁を取り壊しその艦船をアブデラへ廻すように命じた。・・・・


ヘロドトス著「歴史」巻6、46 から

上の引用では「タソスが謀叛を企てている」とペルシア王ダーレイオスに注進したのは「隣国」としか書いてありませんが、タソスの隣国というのはおそらくアブデーラを指しているのでしょう。そしてダーレイオスはアブデーラを信用しているからこそ、タソスの艦船をアブデーラに送るように命じたのだと思います。タソスは大陸側の領地に金鉱を有しており、財力のあるポリス(都市国家)でしたので、謀反の疑いを持たれるのも仕方のないことでした。結局、タソスはダーレイオスの命令に従うことにしました。

タソス人はペルシア王の命に基き城壁をとり壊すとともに、全船舶をアブデラへ廻航したのであった。・・・・


ヘロドトス著「歴史」巻6、48 から

こういう記事やイオーニアの反乱に参加しなかったらしいことから、アブデーラはペルシア支配下において、ペルシア王の意を迎えるような方針を取っていたと私は推測しています。


イオーニアの反乱の鎮圧後の後始末がついたところで、ペルシア王ダーレイオスは、イオーニアの反乱に加担したアテーナイとエレトリアに報復するために遠征軍をギリシア本土に派遣しました。これが1回目のペルシア戦争です。この時は全軍は船に乗ってエーゲ海を東から西へと進んでいきましたので、アブデーラは進軍の経路に当ることはなく、戦場にもならず、影響はほとんどありませんでした。しかし、その10年後の2回目のペルシア戦争の時には様子が異なりました。