神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

キューメー(7):パクテュエス

小アジアの覇者となったリュディアですが、滅亡は突然やってきました。リュディアから見て遥かな東、イラン高原にいたペルシア人たちはメディア王国の支配下にありましたが、ここにキューロスという指導者を得て反乱を起し、メディアを滅ぼしてしまいました。リュディア王クロイソスにとって、ペルシアに討たれたメディア王アステュアゲスは義理の兄弟に当たっていました。クロイソスは義兄弟の敵討ちという名目を挙げ、キューロス率いるペルシアの領土に攻め込みました。しかし、逆にペルシアによってリュディア領内に攻め込まれることになり、リュディア王国の首都サルディスは14日間の籠城の末、ついに陥落しました。クロイソス王はキューロスに捕らえられてしまいました。これがサルディスの陥落という事件です。この事件はBC546年に起きました。

これはその直後の話です。リュディアの首都サルディスには豊富な量の黄金がありました。ペルシア王キューロスは、その黄金をペルシアの首都スーサへ運ぶことを考えたのですが、その役を、どういう理由があったのか分かりませんが、よりによって征服された側のリュディア人である、パクテュエスという者に命じたのでした。ところがパクテュエスはこの黄金を手に入れると、この黄金によって傭兵を募り、その傭兵によってサルディスを奪還しようとして攻め入り、サルディスを守っていたペルシア軍をアクロポリスに追い詰め、これを包囲したのでした。


 しかしこの事件がキューロス王の耳に届くと、キューロス王はただちに討伐軍を編成させ、サルディスに向かわせたのでした。パクテュエスは、自分への討伐軍が近くに迫ったことを知ると、恐れをなしてキューメーへ逃げてきました。ペルシアの討伐軍の指揮官はマザレスという者でしたが、マザレスはキューメーに使者を送り、パクテュスの引き渡しを要求したのでした。キューメー人たちは、庇護を求めて来た者を大切にするのは昔からの神聖な掟が命ずるところであるが、かといって引き渡さずにおればペルシア軍の攻撃にさらされて、町の存続も危ぶまれる、といったジレンマに悩みました。そこで、どうしたらよいかをミーレートスにあるディデュマの神殿、またの名をブランキダイ、のアポローン神に伺いを立てようと考えたのでした。

(上:ディデュマのアポローン神殿)

 さてキュメ人はブランキダイへ神託使を送り、パクテュエスについてどういう処置をとれば神意に適うであろうかと訊ねた。この問いに対して、パクテュエスをペルシアに引き渡すべしという託宣が下ったのである。この託宣がキュメに報告されると、それを聞いたキュメ人はすぐにも引き渡そうとはやり立った。ところが大勢が引き渡しに傾いている中に、町で信望の厚かった人物でヘラクレイデスの子アリストディコスという者が、そのようなことをせぬようキュメ人を制止した。彼は神託に不信感を抱き、神託使が真実をいっていないと考えたからである。結局パクテュエスの処置について再び神託を伺うために、別の神託使が出かけることになったが、アリストディコスもその一員になったのである。


ヘロドトス著「歴史」巻1、158 から

アリストディコスは、庇護を求める者をその敵に引き渡せと、アポローン神が命ずるはずはない、と思ったのでした。

 一行がブランキダイへ着くと、アリストディコスが一同を代表して次のように質問し神託を乞うた。
「神よ、リュディア人パクテュエスなる者が、ペルシア人の手にかかり横死を遂げるのを避けようと、庇護を求めてわれらの許へ参りました。ペルシア人は彼を引き渡せと、われらキュメ人に要求しております。われらはペルシアの勢力を恐れてはおりますが、われらはいずれの方途をとるべきか、神意をはっきりとお示しいただくまではと、庇護を求めて参ったその者の引き渡しを、今日まで決行せずに参ったのでございます。」
 アリストディコスがこのように訊ねたのに対し、神は再び同じ託宣を彼らに下し、パクテュエスペルシア人に引き渡せと命じたのである。
 これに対してアリストディコスは、故意に計って次のようなことをした。社殿の周りを廻りながら、雀をはじめ社内に巣くっている鳥類をことごとくとり払ってしまったのである。彼がそんなことをしていると、社殿の奥からアリストディコス目指して声が響き、こういったという。
「世にも不敬なる者よ、さような不埒を働くとは何たることじゃ。わが保護を求めておるものどもを、汝はわが社殿より逐わんとするのか。」
するとアリストディコスは、これに対して少しも騒がずこういったという。
「神よ、御自身はそのように庇護を求めるものをお助けになりますのに、キュメ人には保護を乞うてきた彼の男を引き渡せと仰せられますのか。」
すると神がまたそれに応じてこう答えられたという。
「さよう、そうせよと申すのじゃ。汝らが不敬の罪を犯して早く滅びてしまうようにな。そうなればこれからのち、保護を求めた者の引き渡しをどうしたものかと託宣を伺いにもこれまいからな。」


ヘロドトス著「歴史」巻1、159 から

神に対しても毅然と「神よ、御自身はそのように庇護を求めるものをお助けになりますのに、キュメ人には保護を乞うてきた彼の男を引き渡せと仰せられますのか。」と問い正すアリストディコスには共感をおぼえます。しかしそのあとの神の応答はなんなんでしょう。売り言葉に買い言葉のような感じがします。それでもキューメー人はこの神託を重く受け止めたのでした。

 キュメ人は持ち帰られたこの託宣を聞くと、引き渡して国を亡ぼされるのも、また町に留めておいて包囲攻撃を受けるのも嫌だというので、パクテュエスミュティレネへ送った。ミュティレネでは、マザレスからパクテュエス引き渡しの要求を伝達されるに及んで(中略)キュメ人は(中略)船を一艘レスボスに送り、パクテュエスキオスへ護送した(中略)しかしここでパクテュエスは(中略)キオス人によってペルシア側へ引き渡されてしまった。


ヘロドトス著「歴史」巻1、160 から

結局、キオス人はパクテュエスをペルシア側に渡してしまうのですが、それでキオス人が神の怒りを受けたとは物語られていないので、結局キューメー人はどうすべきだったのか、よく分からないままです。その後しばらくしてペルシア軍はキューメーだけでなくアイオリス地方全体を征服しました。