神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ミーレートス(12):サルディスの陥落

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話を「ミーレートス(8):イオーニア12都市」のところまで戻します。ミーレートスはリュディアと同盟を結んでいたことで対外的には平和を得ていたのですが、やがて情勢が変化していきます。その変化は東方はるかかなたのイラン高原からやってきました。イラン高原にいたペルシア人たちはメディア王国の支配下にありましたが、ここにキューロスという指導者を得て反乱を起し、メディアを滅ぼしてしまったのです。「ミーレートス(6):科学の祖タレース」にも書きましたようにリュディア王国とメディア王国は平和条約を結んでいましたが、実はその時に和平を確かなものにするために両者の間で婚姻関係を結んだのでした。そういうわけで現在のリュディア王クロイソスにとって、ペルシアに討たれたメディア王アステュアゲスは義理の兄弟に当たっていました。クロイソスは義兄弟の敵討ちという名目を挙げ、キューロス率いるペルシアの領土に攻め込みました。この時、クロイソスは自分の支配下にあるイオーニアの植民都市からは援軍を出させましたが、独立しているミーレートスにも同盟を求めてきました。
 この時、タレースはすでに高齢でしたが、ミーレートス人に意見して、この同盟の申込みを断らせた、という話が伝わっています。このことがミーレートスに幸いしました。というのは、やがてペルシア軍はリュディア王国の首都サルディスの城壁を包囲し、14日間の籠城の末、ついにサルディスを占領したからです。クロイソス王はキューロスに捕らえられました。これがサルディスの陥落という事件です。この事件はBC546年に起きました。

タレスはまた政治的な事柄においても非常にすぐれた勧告を与えた人だとされている。事実、クロイソスがミレトス人に使者を送って同盟を申し入れたとき、彼はそれを断るようにさせたのだが、そうしたために、のちにキュロスが勝利を得たときに、その町(ミレトス)は救われることになったのである。


ディオゲネス・ラエルティオス著「ギリシア哲学者列伝」の「タレス」の項より

 リュディアと一緒にペルシアと戦っていた他のイオーニアの都市にとっては大変なことになりました。その状況をヘーロドトスは以下のように伝えます。

イオニア人とアイオリス人は、リュディアがペルシアに征服されるとすぐに、使いをサルディスのキュロスの許へ送った。クロイソスに隷属していた時と同じ条件でキュロスにも従いたいと思ったからである。キュロスは彼らの申し出をきいてから、こんな寓話を話してきかせた。――ひとりの笛吹きが海中の魚を見て、笛を吹けば陸に上ってくるかと思って笛を吹いた。ところが当が外れたので、投網をもちだし沢山の魚を捕えて陸に曳き上げたが、魚がバタバタはねまわっているのを見てこういった。「おい踊るのは止めないか。お前たちは俺が笛を吹いたのに、出てきて踊ろうともしなかったくせに。」
 キュロスがイオニア人とアイオリス人にこんな話を聞かせたのは、以前キュロスがイオニア人に使者を送って、クロイソスに叛いてくれと頼んだときにはいうことを聞かず、ことが終った今になってキュロスに従う態度に出たからであった。
 キュロスは怒りに駆られて彼らにこういったのであったが、このことはイオニアの町々に報告され、イオニア人はこれを聞くと、それぞれ町のまわりに城壁を築き、ミレトス以外の全イオニアの住民がパンイオニオンに集合した。ミレトスが参加しなかったのは、キュロスがミレトスとだけは、リュディア王と同じ条件で協定を結んでいたからである。


ヘロドトス著「歴史」巻1、141 から

さて、上の引用に出てくるパンイオーニオンというのは神殿の名前で、その名前の意味からすると「全イオーニア人の(神殿)」という意味です。

パンイオニオンはミュカレの山の北斜面にある聖域で、イオニア人が共同して「ヘリケのポセイドン」に捧げたものである。ミュカレは大陸から西方サモス島に向って伸びている岬で、イオニア人たちは例の町々からここへ集まり、「パンイオニア」の名で呼んでいる祭を祝うのである。


ヘロドトス著「歴史」巻1、148 から

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/26/Priene_colline_colonne.jpg

この時タレースもその会合に参加して、「全イオーニア人は団結して1つの広域国家を作るべきだ」と建言しました。

彼の意見というのは、イオニア人は単一の中央政庁を設けて、イオニアの中央に当るテオスにこれを置く、ただし他の町々はそのまま存続しいわば地方行政区と見做される、というものであった。


ヘロドトス著「歴史」巻1、170 から

 


しかしタレースの建言は人々の受入れられるところとはならず、イオーニアの各都市は個別にペルシアと戦い

いずれも救国の戦いに武勇を輝かしたが、結局戦い敗れ占領されて、それぞれ祖国に留まり、ペルシアの命に服することになったのである。


ヘロドトス著「歴史」巻1、169 から

という結果になったのでした。

 

 

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