神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

キューメー(5):アガメムノーン

ヘルモディケーの父親でキューメーの王であった者の名前がアガメムノーンである、という伝承は「(3):ホメーロスとヘーシオドスの最初に述べたストラボーンの記述に結びつきます。つまり、ミュケーナイのアガメムノーン王、トロイア戦争ギリシア側総大将であったアガメムノーン王、の子孫がロクリスにいたアイオリス人を率いてエーゲ海を渡り、キューメーを建設したという記述です。ミュケーナイとアイオリス人の結びつきがよく分からないのですが、ストラボーンの記述によればアイオリス人の植民活動の指導者たちはアガメムノーン王の子孫たちということになっています。キューメーの近くにあるレスボス島にはミュティレーネーというアイオリス人の町がありますが、そこの王統ペンティリダイもアガメムノーン王の子孫だと伝えられています。ペンティリダイの名はアガメムノーンの息子オレステースの息子ペンティロスにちなんでいます。


英語版のWikipediaの「キューメー」の項では、キューメーが鋳造したコインによく馬の絵が刻印されていることを、トロイア戦争の伝説でのトロイの木馬と結び付けて、この馬の絵がアガメムノーンの子孫であることのシンボルになっているのだろうと推測しています。しかし、私はそれは考え過ぎだと思います。そのコインの絵がトロイの木馬のことを表しているでしたら、もっと木馬らしい絵にするはずなのに、実際の絵は生きている馬のように見えるからです。ではこの馬が何を意味しているか、と問われたら、私はわかりませんとしか言えません。

(左:キューメーのコインに描かれた馬)


アガメムノーンの娘がプリュギアのミダース王の妃になったことから、キューメーがプリュギアと同盟を結んでいたことが分かります。ミダース王はギリシア神話では前回ご紹介したように浮世離れした物語の主人公でしたが、歴史上のミダース王は、北方から来た遊牧民族キンメリア人に攻められて自殺したと言われています。日本のウィキペディアの「キンメリア人」の項に、BC 1世紀の歴史家ストラボーンの引用がありました。

また、キンメリオイ族はその名をトレレス族ともいい、あるいは後者が前者の一部族だともいうが、この部族はしばしば黒海右岸域や自分たちの地方に隣接する諸地域へ侵入し、時にはパフラゴニア(英語版) 地方へ入り、さらにプリュギアの諸地方へも入った。後者への侵入はミダスが雄牛の血を飲んで死の運命に身を任せたという話のある時の出来ごとだった。リュグダミスは自分の部族を率いてリュディア、イオニア両地方にまで進み、サルデイス市を陥れたが、キリキア地方で落命した。キンメリオイ、トレレス両族ともしばしばこのような侵略を行ったが、話によるとコボスの率いるトレレス族は最後にはスキュタイ族の王マデュスの手でその地方を追われた。


— ストラボン 第1巻第3章21


日本のウィキペディアの「キンメリア人」の項より

当然、ミダース死すの報はキューメーにも伝えられたでしょう。その時、アガメムノーン王、あるいは彼がこの時には世にいなかったとして、その後継者は何を思ったでしょうか? これはBC 695年のことと推定されています。キンメリア人はこのあと何十年にも渡って小アジアに居座って、各地で掠奪をはたらいたのでした。


キンメリア人はキューメーにもやってきたのでしょうか? 私には分かりません。キンメリア人はキューメーより南のギリシア人の町エペソスには確かにやってきました。ですので、キューメーにキンメリア人がたとえ来なかったにしても、その脅威は身近なものであったと想像します。