神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

キューメー(4):ヘルモディケー

この頃(BC 8世紀頃)の出来事の年代を判断するのは難しいのですが、おそらくヘーシオドスが活躍した時代のキューメーの王女と思われるヘルモディケーについて紹介します。ヘルモディケーのことはBC 4世紀の哲学者アリストテレースの著作とされるものの断片に登場します。今回、英語版のWikipediaでヘルモディケーについて調べたのですが、その記事がどうも信頼できないので、ネットでいろいろ調べたところ、「Archaeology, Artifacts and Antiquities of the Ancient Near East: Sites, Cultures, and Proveniences, Oscar White Muscarella, BRILL, 2013」という書籍にアリストテレースの断片の訳が書かれているのを見つけました。それをご紹介します。

ヘルモディケーはプリュギア王ミダースの妻であり、彼女は賢明でかつ、熟練した職人であり、キューメーの最初の貨幣を鋳造したと言われている。


「Archaeology, Artifacts and Antiquities of the Ancient Near East: Sites, Cultures, and Proveniences, Oscar White Muscarella, BRILL, 2013」の脚注に引用されていた、アリストテレースの断片より

キューメーで最初に硬貨を作ったのがプリュギア王ミダースの妻であるヘルモディケーだということです。プリュギアというのは小アジアの内陸部にあった国で、BC 8世紀頃に興隆しました。これだけではヘルモディケーがキューメーの人かどうか分かりません。もっと後世のAD 2世紀の学者ユーリウス・ポルックスが、これに関してさらに情報を提供しています。

地元の誇りのもう1つの例は、貨幣鋳造に関する論争で、最初に鋳造したのはアルゴスのペイドーンだったのか、それともキューメーのデーモディケー(彼女はプリュギアのミダースの妻でキューメーのアガメムノーン王の娘であった)だったのか、あるいはアテーナイのエリクトニオスとリュコスだったのか、(クセノパネースが言うように)リュディア人か、(アグロステネースが考えたように)ナクソス人だったのか、というものである。


同上に引用されていた、ユーリウス・ポルックスの「オナマスティコン9・83」より

ここではヘルモディケーではなくデーモディケーという名前になっていますが、プリュギアのミダース王の妻であり、最初に貨幣鋳造した人物の候補として記されているので、アリストテレースの断片が記すヘルモディケーと同一人物と考えられます。ユーリウス・ポルックスはさらにデーモディケーがキューメーの王女であり、父親の名前がアガメムノーンであったという情報を提供しています。



(左:リュディアで作られた現存最古の貨幣。エレクトロン貨)


ところで(西洋で)貨幣を最初に作ったのは誰か、という問いに対して、現代の歴史学ではリュディア人が作ったと回答しています。それがいつのことなのかははっきりしませんが、だいたいBC 670年頃ということらしいです。古代ギリシアの地域で見つかった最も古いコインはBC 625~600年のものと見られています。ですので、ヘルモディケーまたはデーモディケーがキューメーでコインを作ったのもその頃のことになりそうです。ところがプリュギアのミダース王というのは、それより約90年前、BC 700年頃に活躍した人物とされています。すると、ヘルモディケーはミダース王の妻ではなかったか、あるいはギリシアで貨幣が作られたのがもっと早かったのか、のどっちか、ということになります。


私にはどちらが正しいのか分かりません。ただ、ミダース王の妻であったとすれば面白いのは、このミダース王というのはギリシア神話の中では、触ったものが全て黄金になる、という話の主人公だということです。


その神話によれば、ミダースはディオニューソス神から望みを一つだけ叶えてあげよう、と言われた時に「どうか私の身体が触れるものが何でも皆、黄金に変わりますように」と願ったのでした。その願いはかなえられ、手で触れたものが皆、黄金に変わってしまうのでミダースは最初は喜んだのですが、自分が食べる物も飲む物も全て金に変わってしまうことにほどなく気づき、悲嘆にくれたのでした。そこでミダースがディオニューソス神に、自分の愚かさを憐れんでこの能力を取り除いて下さい、と願ったところ、神はパクトーロス川の源まで行き、その源泉に身を沈めて洗い清めるがよい、そうすればその能力はおまえの身から離れるであろう、と教えたのでした。ミダース王がそうすると、黄金に変える力はミダースの身体から離れ、パクトーロス川の水に移ったのでした。そのためにパクトーロス川からは砂金が採れるようになったのだといいます。


このようにミダースは黄金に縁のある王だったのです。砂金が採れる川を領土内に持つ王が最初の金貨を作り、そしてその妻がその技術を実家のキューメーに伝えた、というのはありそうなことのように思えます。