神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

キューメー(3):ホメーロスとヘーシオドス

キューメーの建設についてネットをいろいろ検索していたところMuzaffer Demirという方(どうもトルコ人の教授らしいです)の英語の論文「Making sense of the myths behind aiolian colonisation(アイオリス人の植民活動の背後にある神話を理解する)」を見つけました。その論文の中にBC 1世紀の地誌学者ストラボーンからの引用がありました。それを以下に引用します。

実際、アイオリス人の植民活動はイオーニア人の植民活動よりも4世代前に行われたが、遅れが生じ、より長い時間がかかったと言われています。なぜなら、オレステースが遠征の最初の指導者だったと言われていますが、彼はアルカディアで亡くなり、息子のペンティロスが彼の後を継いでトロイア戦争の60年後、ヘーラクレイダイがペロポネーソスに戻ってきた頃、トラキアまで進みました。そして、ペンティロスの息子アルケラーオスがアイオリス人の遠征隊を率いて、ダスキュリオンの近くの現在のキュジケーネにたどり着きました。アルケラーオスの一番若い息子のグラースはグラニコス川へと進み、装備が整っていたため、軍の大部分をレスボスに導いて占領しました。そしてドーロスの子クレウエスとマラオス、ともにアガメムノーンの子孫がペンティロスとほぼ同時に軍隊を集めましたが、ペンティロスの艦隊はすでにトラキアからアジアに渡っていたのに対しクレウエスとマラオスはロクリスとプリキオス山のあたりに長い間滞在し、後になって初めて海を渡って、ロクリスの山にちなんで名付けられたプリュコニスのキューメーを建設した、とも言われています。


ストラボーン「地理誌」(13.1.3)より

この記事の中でキューメーに関連するのは後半の文章です。ドーロスの子クレウエスとマラオスという、ともにアガメムノーン王の子孫が、ロクリス地方(アイオリス人が当時いたとされる地方)に長期滞在したのち、(おそらくロクリスのアイオリス人を率いて)エーゲ海を渡ってキューメーを建設した、ということです。ここに登場するアガメムノーンは、おそらく伝説上のトロイア戦争におけてギリシア軍の総大将であるミュケーナイのアガメムノーン王のことを指しているのでしょう。のちにキューメーの王の中にアガメムノーンという名前の王がいたことが分かっています。彼はキューメーを建設したクレウエスかマラオスのいずれかの子孫なのでしょう。


英語版のWikipediaの「キューメー」の項によれば、アイオリスのキューメーの人々は、後世、以下のように言われて馬鹿にされたといいます。すなわち、ずっと海岸に住んでいながら、港湾税を船から取ったことのない馬鹿な人々、というのです。でも、これは考えようによっては、税を取らないことで逆に入港する船が増え、貿易が盛んになり、結果としてそのほうが町の利益になっていたのかもしれません。事実、キューメーは貿易で栄えたためにアイオリス地方で一番の町に成長したのでした。


キューメーが建設されてから400年ぐらいについては、何も情報を得ることが出来ませんでした。そこで、400年ぐらい時代を下ります。BC 8世紀か7世紀の人物とされる詩人ホメーロス(しかし、彼が実在の人物かどうかについては議論があります)について、彼の出身地がキューメーである、という説を見つけました。次は、古代のホメーロスの伝記のひとつの文章です。

さてホメーロスを、ピンダロス Pindaros はキオス Chios の人、スミュルナ Smyrna の人と言い、シモーニデース Simonides はキオスの人、アンティマコス Antimachos とニーカンドロス Nikandros はコロポーン Kolophon の人、哲学者アリストテレースイオス Ios の人、歴史家エフォロス Ephoros はキューメー Kyme の人と言う。またある者は、キュプロス島のサラミース Salamis の人、ある者はアルゴス Argos の人、さらにアリスタルコス Aristarchos とトラーキアのディオニューシオス Dionysios Thrax はアテーナイの人とした。


高津春繁著「ホメーロスの英雄叙事詩」に引用された古代のホメーロス伝のひとつの孫引き


ホメーロス


ホメーロスをキューメーの人と主張しているのは、歴史家エフォロスですが、彼自身がキューメー出身の歴史家なのでした。ですので、これは自分の出身地を顕彰したいという動機が背後にあっての説なのかもしれません。


偽ヘーロドトス作の(つまり歴史家ヘーロドトスの作を名乗っているが、実は他人が書いたという)ホメーロス伝では、ホメーロスの母親がキューメーの出身となっています。彼女の名前はクレーテーイスで、メラノポスという男の娘でした。偽ヘーロドトスによれば、クレーテーイスはアルゴスから来た男によって妊娠したが、男は逃げてしまい(最低ですね)、クレーテーイスはスミュルナ近郊のメレース川のほとりでホメーロスを生んだ、ということになっています。これはホメーロスの本当の名前はメレーシゲネースであったという古くからの伝説があり、このメレーシゲネースという名前が「メレース生まれの(男)」という意味なので、スミュルナを流れるメレース川で生まれた、という説が出来、それに従ったのだと思われます。この偽ヘーロドトスのホメーロス伝では、その後成人したホメーロスが母方の祖父の町であるキューメーの市民権を得ようとしたが、失敗したのでポーカイアに移住した、という話も登場します。


ホメーロスより少し後の時代の人と推定される詩人ヘーシオドス(神々の系譜を語った「神統記」や教訓詩「仕事と日」の作者)は、明らかにキューメーと関係がありました。ヘーシオドス自身が自分の作品の中で、自分の父がキューメーからギリシア本土の寒村アスクレーに移住した、と述べているからです。

父上はその昔、アイオリスの町キューメーを後にして、
黒き船で大海を渡り、この地へ来られた。
父上が逃れてこられたのは、富でも金でも安楽な暮らしでもない、
ゼウスが人間に下される苦しい貧困からであったが、
ヘリコーン山のほとり、侘(わび)しき寒村に住みつかれた、
冬は辛(つら)く、夏は凌(しの)ぎがたく、四時住みやすからぬアスクレーの村にな。


ヘーシオドス「仕事と日」 松平千秋訳 より


労働、それも農業に励むべきことを述べた教訓詩「仕事と日」の作者の父親が、貿易で栄えるキューメーの出身だったというのは、意外な気がします。しかも、その栄えた町で貧困から逃れるために、寒村のアスクレーにやってきた、というのは、いったいどんな事情があったのでしょうか?


この父親は、貿易に従事していたのでした。

さて、その時が到来したならば、脚速き船を海におろし、
儲けを家に持ち帰れるよう、しかるべき荷を船に積め――
まさにわが父、そして世にも愚かなペルセースよ、お前にも父なる人が
良き暮しを求めて、いく度も船で海を渡っておられたようにじゃ。


ヘーシオドス「仕事と日」 松平千秋訳 より

その父が寒村に引きこもった理由は、この詩にははっきりとは書かれていませんが、たぶん、貿易で破産したからでしょう。ところで、移住先のアスクレーは、ギリシア本土におけるアイオリス人の居住地域の中にありました。つまり、ヘーシオドスの父親は移住先を同じアイオリス人の居住地から選んだのでした。