神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

キューメー(2):2つのキューメー

キューメーについて私が不思議に思っていることは、キューメーというギリシア人植民市がもう一つある、ということです。もう一つのキューメーはエーゲ海域ではなく、イタリアにあります。そこでキューメーという町の名は、やがてクーマエというふうに変わって、ギリシアよりもむしろローマにとって重要な町のひとつになりました。ローマ人にとってその町は、シビュレーという女性の予言者がかつていた、という理由で関心がありました。2つのキューメーの位置を以下に示します。


イタリアにあるキューメーは、ナポリのすぐ近くにあります。ナポリ自体がかつてはギリシア人の植民市ネアポリスでした。ネアポリスとはギリシア語で新しい町を意味します。その近くのキューメーは、エウボイア島のカルキスエレトリアによって設立されたと言われていますが、さらにその設立者の名前も伝わっており、それはカルキスのメガステネースと、キューメーのヒッポクレースの2人である、とのことです。ここで、キューメーのヒッポクレースと呼ばれる人物に付けられているキューメーのというのは、どこのキューメーのことか、という疑問が湧きます。調べたところ、カルキスエレトリアのあるエウボイア島にはキューメー(現在名キミ)という小さな町があるそうで、このヒッポクレースはこのキューメーの出身だったようです。キューメーはカルキスエレトリアによって設立されたとも言われていることから、ひょっとするとこのキューメーは当時エレトリア支配下にあったのかもしれません。



イタリアのキューメーにいたと言われている予言者シビュレー(またはシビュラ)については、ルネッサンスミケランジェロがシスティナ礼拝堂の天井に書いた絵の中に登場するシビュレーをご紹介します。シビュレーは女性なのですが、ここではなぜか、たくましい腕をもった予言者として描かれています。


さて、アイオリスのキューメーに話を戻します。私は、こちらのキューメーもエウボイアのキューメーと関係があるのかもしれない、と想像してみました。この想像で問題になるのは、アイオリスのキューメーはアイオリス人の町であるのに、エウボイア島はイオーニア人の居住地だということです。ここで私は2つの可能性を考えました。一つは、アイオリスのキューメーは、アイオリス人によって植民されたのだが、エウボイアのキューメーからも植民した者たちがいて、彼らが何らかの活躍をしたので町の名前をキューメーにした、という可能性です。


もう一つは、エウボイア島はかつてはアイオリス人の島ではなかったか、という可能性です。エウボイア島全体ではなくても、エウボイア島のキューメーはアイオリス人によって建設された町ではなかったか、という可能性もあります。これらの可能性を認める場合、エウボイア島、あるいはエウボイアのキューメーは、のちにイオーニア人によって占拠された、ということになります。イタリアのキューメーが建設されたのがBC 8世紀という、歴史の光がうっすらと差し込む時代であったのに対し、アイオリスのキューメーが建設されたのはそれよりずっと以前で、おそらくBC 12世紀か11世紀のことだと思います。ですので、2つのキューメーの建設の時期の間には4~500年の期間があり、その間にエウボイア島で住民の移動や駆逐があったとしてもおかしくない、と想像しました。


いずれにしてもこれらは私の単なる想像です。本当のところ、この2つのキューメーの間に何か関係があったのかどうかよく分かりません。