神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

キオス(16):籠城


前回の最後で、アテーナイ軍がキオスに上陸し、キオス軍はそれを迎え撃ったのですが、3連敗してキオス市の城壁の中に撤退し、籠城することになったのでした。


この状況のもと、一部の市民の間で、キオスをもう一度アテーナイ側に寝返らせようとする動きが出てきました。キオスの当局はこの動きを察知して、スパルタの海軍司令であるアステュオコスとともに相談しました。そしてこの動きを穏便に止めるために彼らは人質を取ることを検討し始めました。


それから数カ月のち、スパルタ人テーリメネースが率いるペロポネーソス勢の増援部隊がミーレートスに到着しました。この増援部隊は、アステュオコスの指揮下に入る予定になっておりました。

アステュオコスは、この時キオスにあって、謀叛阻止の措置として人質の選抜に当っていたが、テーリメネースの船隊が到着したことを知り、味方の同盟態勢が好転しているのを見ると、キオスでの仕事を中断し、ペロポネーソス船十艘、キオス船十艘を従えて出港した。


トゥーキュディデース著「戦史」巻8・31 から

しかし、アステュオコスがあまり戦果を出せないうちに艦隊は大風に吹き散らされ、アステュオコスは大陸側のアイオリス人の都市キューメーに漂着しました。キューメーで態勢を立て直したのちキオスに戻るのですが、また、嵐に襲われてしまいます。

アステュオコスは錨を巻いてキオスにむかう航路を進んだ。その途上嵐に襲われたため、船隊は四散し、後刻あちらこちらの方角からキオスに到着した。するとその後から、当時ミーレートスから沿岸の陸路を行軍中であったペダリトスが、エリュトライを経て海峡をわたり、軍勢もろともキオスに到着した。


トゥーキュディデース著「戦史」巻8・32 から

このペダリトスはスパルタ人で、スパルタ政府からキオスの施政官として派遣された者です。施政官ということはキオスはアテーナイの支配を逃れても今度はスパルタの言うことを聞かなければならない立場だったようです。

そこへ幾名かのレスボス人が謀叛の話をもちかけたので、アステュオコスはペダリトスとキオス人を前に、この際船隊を率いて加勢し、レスボスをアテーナイから離叛させるべきである、という提案をおこなった。これによって味方としてはより多数の同盟者を得ることになる、またよしんば計画が蹉跌をみようとも、アテーナイ側に損害を与えることはできる、と。しかしかれらはこの提案をうけいれず、またペダリトスもキオス人の船隊をアステュオコスの意志に委ねるわけにはいかぬ、と断った。


トゥーキュディデース著「戦史」巻8・32 から

アステュオコスは以前もレスボス島の諸都市の離叛を助けようとしてレスボスに上陸したのですが、アテーナイがミュティレーネーの離叛を鎮圧し、他の都市の離叛作戦も思うように進まないことを知ると、すごすごと退却したのでした。そのことを知っているのでキオス政府の責任者たちは今度のレスボス島離叛の話に乗りたくないのでした。ペダリトスもキオスの施政官の立場からアステュオコスの計画に反対しました。するとアステュオコスはこれに大層機嫌を損ねて、配下の船隊を率いてキオスを出ていきミーレートスに向ったのでした。自分の意見に反対するのであれば、キオス人だけで作戦を進めればよい。自分は同盟海軍の総司令官であり、キオスのことだけに関わっているわけにはいかないのだ、というわけでした。

かれは出発に際してキオス人にむかって、かれらが今後いかなる事態に迫られて援助を必要としようとも、誓って自分は援助を拒否するであろうと、激しい脅し文句を残していった。


トゥーキュディデース著「戦史」巻8・33 から

このあと、アスティコスはキオスより南のミーレートスに到着し、テーリメネースから増援部隊を引き取って指揮下に置きました。一方、アテーナイ勢はキオスの町の南にあるデルピニオンという場所に要塞を建設しはじめました。

レスボスから発進したアテーナイ勢は、早くも軍兵もろともキオスへの航路を渡り終えるや、海陸両面にわたる優勢を確保し、デルピニオンの要塞工事にかかった。この地点はとくに陸地に面しては天然要害の趣きをそなえ、幾つかの湾を抱き、またキオスの町からは程遠からぬ距離にあった。キオス側はと見れば、すでにそれまでの歴戦の結果に意気沮喪しているのみか、とくにその内部事情がはなはだ芳しからぬ様相を呈していた。というのは、イオーンの子テューディウスらの一派がアテーナイ同調主義のかどで、ペダリトスの命令によって処刑されていらい、残った市民らはみな強制的に貴族派の桎梏下におかれることとなって、かれらは互いに猜疑の念をつのらせながら成り行きを静観している有様であった。したがってこの時も、市民ら自身にしてもまたペダリトス麾下の傭兵隊にしても、アテーナイ勢と戦っても、とうてい勝てる状態にあるとは思われなかった。ともあれかれらは、いちおうミーレートスに使いを送り、アステュオコスに援助を要請した。だがアステュオコスはこれに応じなかったので、ペダリトスはアステュオコスの背任行為を難詰する書状を、ラケダイモーン本国に送った。


トゥーキュディデース著「戦史」巻8・38 から

キオスの施政官ペダリトスからの手紙を受け取ったスパルタ政府は、今回ちょうど派遣することになっていた船隊に同行してペルシアと同盟の内容を詰める任務を持つ11人の顧問官に、付属の任務として、アステュオコスの行状を探り、必要を認めれば海軍司令の任を解く任務を与えました。

その頃、キオス人とペダリトスは、いつかな動く気配もないアステュオコスにあって、矢のような使いを送り、全船隊を籠城下の自分らの救援にさしむけるべきである、イオーニアにおける最大の同盟国たるキオスが海上から封鎖され、耕地は掠奪をほしいままにされて壊滅に瀕しているのを見捨てるべきではない、と要請していた。(中略)キオス側はこう言った、まだ希望があるうちに、この趨勢を阻止できる間に、つまりデルピニオンの要塞が工事中でまだ完成に至らず、さらに敵側陣営や船を守る防壁が一そう大規模なものに築きあげられてしまう以前に、自分らのもとに援兵を送るべきである、と。アステュオコスは先頃自分があたえた脅迫にこだわっていたので、救援する意図はなかったが、同盟諸兵が積極的に救援を望んでいる様子を見て、ようやく援軍派遣の動きを見せた。


トゥーキュディデース著「戦史」巻8・40 から

これでやっとアステュオコスはキオスを助けることになるのかと思いきや、そうはなりませんでした。

その間に、カウノスからの知らせが、船二十艘とラケダイモーン(=スパルタ)からの顧問官らの到着を告げた。するとアステュオコスは、この際他のことを一切後廻しにしても、より強力な制海権を得るためには、先ずはこの大船隊を護衛誘導せねばならぬ、そして、いわばかれの身辺を探るために来た者たちではあったが、同行のラケダイモーン人らを安着させねばならぬ、と考えるや、たちまちキオスに対する救援処置を放棄して、カウノスへ船をすすめた。・・・・


トゥーキュディデース著「戦史」巻8・41 から

アステュオコスは、自分の行状を探りに来た11人の顧問官たちに面会することを優先し、キオスの救援を後回しにしたのでした。