神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

クニドス(4):ペロポネーソス戦争

BC 431年、ペロポネーソス戦争が始まりました。これはアテーナイを中心とするデーロス同盟と、スパルタを中心とするペロポネーソス同盟との間の戦争でした。クニドスはスパルタの植民地でありながら、デーロス同盟の一員としてアテーナイに味方しました。しかし、BC 413年にアテーナイとその同盟軍がシシリー島(当時の言い方では「シケリア島」)で大敗すると、アテーナイのエーゲ海東岸の支配はにわかに揺らぎ始めます。そこにペルシアの太守ティサペルネースから、デーロス同盟離反の誘いがやってきます。

(BC 412年)冬ペロポネーソスをあとに出航したラケダイモーン人(=スパルタ人)ヒッポクラテースは、ディアゴラースの子ドーリエウス以下計三名の指揮官が率いるトゥーリオイ船隊十艘と、ラコーニア船一艘、シュラクーサイ船一艘とを従えて、海路クニドスに到着した。クニドスはこのときすでにティッサペルネースに使嗾されて、離叛していた。


トゥーキュディデース「戦史 巻8・35」より

なぜペルシアの太守がクニドスにアテーナイからの離叛を説いたのかというと、この時、ペルシアはスパルタと同盟を結んでいたからなのでした。スパルタにとってかつては仇敵だったはずのペルシアが、ギリシア内部の戦争という当時の状況下では、資金援助を得るための味方になっていたのでした。クニドスはアテーナイから離叛し、スパルタとその同盟国の艦船の入港を許します。

やがてかれら(=スパルタとその同盟の艦船)の到着がミーレートスの本営に伝えられると、折返してミーレートスからの指令が届き、船隊の半数をもってクニドスの警備をおこない、残りの半数はトリオピオン附近の水域に待機して、エジプトから入港する商船を拿捕することを命じた。このトリオピオンというのは、クニドス領の突端に伸びている岬であり、アポローン神の聖域とされていた。


同上

スパルタを中心とするペロポネーソス同盟の、東エーゲ海における海軍基地はミーレートスでした。ミーレートスは伝説によればアテーナイの植民市であり、デーロス同盟にも参加していましたが、この時点ではスパルタ側に寝返っていました。ミーレートスの本営はクニドスに到着したペロポネーソス艦隊に対して「エジプトから入港する商船を拿捕することを命じた」のでした。クニドスは以前からエジプトとの交易が盛んでした。これらの商船はエジプトとアテーナイの間の交易を担っていたと思われます。
一方、この海域におけるデーロス同盟側の海軍基地は、ミーレートスとは目と鼻の先にあるサモス島にありました。クニドスにペロポネーソス側艦船が入港したことを知ったアテーナイ側は、さっそくクニドス奪回を試みます。

しかしアテーナイ勢も知らせを受けると直ちにサモスから発進し、トリオピオン附近の哨戒にあたっていた相手側の六艘を捕獲したが、これらの船の乗組は遁走した。その後クニドスに船隊を乗りつけるや、ポリスを攻撃、城壁の備えもない町であったのでこれを奪取する一歩手前まで追いつめた。翌日寄せ手は再び攻撃をあらたにしたが、無城壁とはいえ守り手は夜間に防御柵をめぐらせるなど防備を充実強化させており、またトリオピオンで船を奪われて逃げ戻った人数が城内の加勢に加わっていたので、攻撃勢は前日ほどの損害を敵に与えることができぬままに陣を引き、クニドス領内の耕地に破壊行為を加えたるのち、海路サモスに引き上げた。


同上

アテーナイ側のクニドス奪回は失敗に終わりました。


その後、スパルタから新たに派遣された27隻の艦隊がクニドス近くのカウノスに到着すると、キオス島に駐留していたスパルタの提督アステュオコスが、これと合流するために指揮下の艦隊を率いてカウノスに向かいました。その途中、この艦隊はクニドスに寄港しました。

アステュオコスは、夜に入ってからクニドスに到着したが、クニドス人はかれがここで船員を下船させることを押しとどめ、そのままアテーナイ側の二十艘に攻撃を挑むべく直行すべきである、と進言したので、止むなくかれはこの指示に従った。このアテーナイ船隊は、サモス駐留の指揮官の一人カルミーノスの麾下のもので、かれらもアステュオコスと同様に、ペロポネーソス本土から接近中の二十七艘の船隊を迎えるべく、警戒線を敷いていたのである。


トゥーキュディデース「戦史 巻8・41」より

アステュオコス率いるスパルタ艦隊はシューメー島付近でアテーナイ艦隊の一部を発見、これを包囲攻撃します。これに対してアテーナイ側は多勢に無勢とみて、退却を始めました。

ここに至ってアテーナイ勢は退却に移ったが、その間に六艘を失い、残余はテウトルーッサ島に退避、そこからハリカルナッソスに逃れた。この後、ペロポネーソス船隊はクニドスに入港し、カウノスからの二十七艘と合流したのち、全船隊うちそろって漕ぎ出して、シューメー島に勝利碑を築いたのち、再びクニドスに戻ってここに投錨した。


トゥーキュディデース「戦史 巻8・42」より

スパルタ側は戦闘に勝利したのちにクニドスに入港したのでした。