神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

アンティッサ(7):ミュティレーネーの反乱


この頃アンティッサはミュティレーネーの影響下にありました。ペロポネーソス戦争開始から3年目のBC 428年、アンティッサはミュティレーネーとともにデーロス同盟を離脱することを目指して、アテーナイに対して反乱を起こしました。反乱の準備はまだ半ばでしたが、メーテュムナミュティレーネーの不穏な動きを察知してアテーナイに通報したために、予定を前倒しして反乱に踏み切ったのでした。メーテュムナはこの頃民主制を採っており、レスボス島の都市の中で一番の親アテーナイ派でした。民主制が発達し、国力が増大したアテーナイに共感を抱いていたのだと想像します。一方、ミュティレーネーは貴族制を採っており、アテーナイに対する共感は少なかったようです。


ミュティレーネーやアンティッサがアテーナイに反乱した理由や心情は、ミュティレーネー使節がスパルタにて行ったという演説からうかがうことが出来ます。(なお、以下はトゥーキュディデースの「戦史」からの記事ですが、トゥーキュディデースは演説内容を正確に記憶することは困難であったため、その状況や立場から妥当と思われるように内容を再構成した、という注意書きをしています。つまり、以下の演説がこの通り行われたわけではありません。それでも以下の演説は、当時のミュティレーネーやアンティッサが置かれていた状況をよく表していると思います。)

そもそも、われらとアテーナイ人との同盟(=デーロス同盟)は、諸君(=スパルタ人)がペルシア戦争から手を引き、かれら(=アテーナイ人)が後にのこって残余の討伐作戦を継続することとなって、はじめて結ばれたものである。しかしわれらが同盟戦線に加わったのは、ペルシアの圧政からのギリシア人解放を目的としこそすれ、アテーナイ人の先棒を担いでギリシア人を奴隷化することではなかった。じじつまた、かれらが一同盟国としてわれらの先導をつとめる限りは、われらも進んでその後に従った。しかしかれらがペルシア人にたいする戦鋒を転じて、同盟諸国を己が奴隷に組み従えることに専心しはじめるのを見てから、われらはもはや安閑としていることができなくなった。同盟諸国は(中略)次々とアテーナイの隷属国となりはてて、残るはついにわれらとキオス人だけになってしまった。その間われらはたしかに名目上は自治国、自決権をもつ同盟者として、かれらの戦列に加わってきた。しかし、先例にてらしてわが身を慮れば、われらはもはや安んじてアテーナイ人を指揮者として信頼することができなくなった。なぜなら、われらの同盟諸国を討ち従えたアテーナイは、機会さえあれば残るわれらをも同じ目にあわせるにちがいなくなったからだ。


トゥーキュディデース「戦史」巻3・10 より


紛争はしばらくの間アテーナイとミュティレーネーの間だけに起こったので、アンティッサは様子見の態勢でいました。アテーナイの派遣軍は最初ミュティレーネーと小競り合いしたり、交渉を持ったりしていましたが、それでもミュティレーネーの意思を変えることが出来なかったので、アテーナイから増員された軍船によってミュティレーネー海上封鎖しました。そのような情勢の時に、メーテュムナの貴族派の一部から、ミュティレーネーに通報がありました。彼らは、内応するのでメーテュムナを攻めて欲しい、と言ってきたのでした。つまり、メーテュムナには民衆派と貴族派の2つの派閥があり、今は民衆派が政権を握っていてアテーナイに忠実だが、貴族派はそれを快く思っておらずミュティレーネーの力を借りて政権を握りたいと考えていたのでした。町の中が貴族派と民衆派に分かれていることは実はミュティレーネーでも同じでした。おそらくアンティッサでも同様だったことでしょう。メーテュムナの貴族派の要請を受けてミュティレーネーは、メーテュムナを攻撃しました。アテーナイ軍は海上を封鎖しているだけで、陸上ではミュティレーネーは自由に行動できたのでした。しかし、いざ攻めてみるとメーテュムナの守りは固く、ミュティレーネーに内応する気配はありませんでした。そこでミュティレーネー軍は撤退することにしました。その帰路にアンティッサに立ち寄り、アテーナイやメーテュムナが攻めてくることを警戒して、アンティッサの市壁の防備を強化していきました。そのあとエレソスとピュラにも立ち寄って、同じく市壁の防備を強化しました。エレソスもピュラもミュティレーネーの影響下にあり、アテーナイに反旗を翻していたためです。さて、ミュティレーネー軍が撤退すると、予想したようにメーテュムナがアンティッサに攻めてきました。しかし市壁の防備が強化されたため、アンティッサは独力でメーテュムナを撃退することが出来ました。


アテーナイはこの状況を知ると、陸上でアテーナイ軍が劣勢であることを理解し、パケースを指揮官とする重装歩兵1000人をレスボスに追加派遣しました。到着するとこの軍はミュティレーネーの周囲に城壁を築いて包囲体勢を完璧にしました。一方、ミュティレーネーはすでにスパルタに救援を要請していましたが、スパルタの艦隊の進みが遅かったために、ミュティレーネーは籠城が長引くことになりました。そして最後には食料不足でどうにもならなくなったので、アテーナイに降伏しました。その結果、ミュティレーネーの城壁は壊され、軍船はアテーナイに没収されてしまいました。また、メーテュムナ領を除くレスボスの土地の所有権は奪われ、アテーナイ人の植民地主に割当てられることになりました。つまり、アンティッサもアテーナイに隷属することになってしまいました。