神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

アンティッサ(4):テルパンドロス


BC 7世紀に入るとアンティッサから音楽家のテルパンドロスが出ます。英語版Wikipediaの「テルパンドロス」の項によれば彼は「ギリシア音楽の父」であり「抒情詩の父」であると言われているということです。しかし残念ながら彼の詩は少数の断片が残っているだけだそうです。彼は竪琴奏者であり、7弦の竪琴を発明したと言われています。それまでギリシアの竪琴は4弦だったといいます。

アンティッサはシグリオンの隣です。それは港のある都市です。次にメーテュムナがあります。アリオーンはこの地の出身で、ヘーロドトスが伝えるところによると、海賊に海に投げ込まれた後、イルカの背に乗って無事にタイナロンにたどり着きました。彼は竪琴を弾き、それに合わせて歌いました。同じ種類の音楽を演奏したテルパンドロスもこの島(=レスボス島)の出身です。彼は 4 弦ではなく 7 弦の竪琴を使用した最初の人物であり、彼の詩に次のように記されています。「我らは 4 弦の歌を捨て、7 弦の竪琴で新しい賛歌を響かせる。」


ストラボーン「地理誌」13.2.4 より


テルパンドロスについては情報が少ないので、英語版やドイツ語版のWikipedia(自動翻訳に頼っています)に頼ることになります。それらによると、テルパンドロスは第2次メッセネー戦争の頃に、デルポイの神託に命じられてスパルタに移住したと言います、神託はスパルタの住民の階層間の争いを(おそらく音楽によって)鎮めよ、と命じていました。そこで彼はドーリス式の音楽旋法を彼らに与えた、ということです(これで階層間の対立が治まるのでしょうか?)。Wikipediaの記述自体も短いので意味を取りづらいです。


これを私なりに解釈すると、テルパンドロスがデルポイに行って神託を聞いたのではなくて、スパルタで内紛が起きたとき(あるいは第2次メッセネー戦争そのものか、それに付随する内紛を指すのかもしれません)、スパルタ政府がこの内紛の解決法をデルポイの神託に尋ねるために神託使を派遣したのでしょう、そしてこの神託使が、テルパンドロスをスパルタに招き、彼に内紛を解決させよ、という神託を聞いたのだと思います。そして、スパルタ政府がアンティッサに住むテルパンドロスを招聘(しょうへい)した、というのが私の解釈です。


テルパンドロスはBC 676年に、スパルタのカルネイアの祭での音楽のコンクールで優勝したということです。また、ピューティア大祭(8年に一度、のちには4年に一度、デルポイで開催される祭。デルポイに祭られるアポローン神に音楽競技が奉納されていた。)で4回連続優勝したと言われています。



テルパンドロスはギリシア本土の西部にある町スキアダスで亡くなったとされていますが、死の原因については、変な話が伝わっています。ある時テルパンドロスが竪琴を演奏したあと、それを聴いていた聴衆の一人が、曲へのお礼としてイチジクの実をテルパンドロスに贈りました。テルパンドロスはその実を食べて、喉に詰まらせて亡くなった、といいます。


古代のギリシア人は著名人の死について変な伝説を作るのが趣味だったのか、このような話はほかにもあります。例えば、アテーナイの有名な悲劇作家アイスキュロスは、鷲から亀を頭に落とされて死んだ、と伝えられています。その鷲は常日頃、亀を捕まえては上空から岩に落として甲羅を割ってから食べていた、ということで、アイスキュロスの禿げ頭を岩と間違えて亀を落とした、といいます。とても本当のこととは思えません。


テルパンドロスの死んだ場所とされるスキアダスもまた暗示的な場所です。この町の近くには冥界への入口があるという伝説がありました。冥界の王ハーデースはこの入口から時折出てくると言います。それはスキアダスが高い山のそばにあって、その影になることが多いため、日光に弱い冥界の王は地上ではこの町を好んでいたからだとされています。冥界への入口があることから、テルパンドロスの死んだ場所として(伝説の作者によって)選ばれたのかもしれません。その後のレスボス島では、BC 7世紀末頃にメーテュムナから竪琴奏者のアリオーンが出ています。アリオーンについては「メーテュムナ(4):アリオーン」を参照ください。この頃のアンティッサについては情報がありません。同時期のミュティレーネーの状況から推測するに、貴族間の政争が激しかったのではないか、と思います。


もっと時代を下ったBC 545年になると、レスボス島の対岸に当たるエーゲ海東岸のギリシア諸都市はペルシアに征服されてしまいます。それを見たアンティッサを含むレスボス島の諸都市は自発的に降伏し、その支配を受け入れました。