神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

メーロス(1):メーロス島植民

今回はミロのヴィーナスが出土したことで有名なメーロス島(現在名ミロス島)を取り上げます。ミロのヴィーナスの「ミロ」というのは「ミロス島(メーロス島)」のことです。メーロス島はキュクラデス諸島の中に位置し、その大きさは日本でいうと小豆島ぐらいです。

メーロス島は、漢字の「凹」の字のような形をしていて、この形が波の穏やかな良港を作っています。


メーロス島ギリシアの古典時代にはドーリス人の島であり、スパルタからの植民による建設であると伝えられていました。

メロス人はスパルタからの移住民であるが・・・


ヘロドトス著「歴史」巻8、48 から


ところでトゥーキュディデースによれば、BC 416年のこと(この時ギリシア全土はペロポネーソス戦争のさ中でした)メーロス島の代表者は、降伏を呼びかけるアテーナイの使者に対して、こう答えたといいます。

アテーナイ人諸君、われらの考えは最初に述べたとおりだ。われらは、すでに七百年の歴史をもつこの国から、一刻たりと自由を剥奪する意志はない。


トゥーキュディデース「戦史 巻5・112」より

私は、ここでメーロスの町(都市国家:ポリス)について「七百年の歴史をもつ」と述べられていることに興味を持ちます。この発言がなされたとされるのはBC 416年です。その時にメーロスの町にすでに700年の歴史があるのだとすれば、スパルタからの移民によってメーロスの町が建設されたのは、BC 1116年あたりということになります。BC 1200年頃に東地中海沿岸の国々に大きな変動があり、それが今日の歴史学BC 1200年のカタストロフと呼ばれています。そして、その頃にギリシアでは、今日ミュケーナイ文明と呼ばれている文明が崩壊し、出土物の乏しい暗黒の時代に突入したのでした。そして、このミュケーナイ時代こそ、ギリシアの神話伝説に歌われた時代であり、その後のギリシア人からは、その時代のことを、自分たちの時代とは違う、輝かしい時代として懐古されたのでした。BC 8世紀の詩人ヘーシオドスは、かつての時代を「英雄の種族の代」と呼び、そして自分たちが生きている時代を「鉄の種族の代」と呼びました。

しかるに大地がこの種族をも蔽った後、
クロノスの御子ゼウスは、またも第四の種族を、
豊穣の大地の上にお作りなされた――先代よりも正しくかつ優れた
英雄たちの高貴なる種族で、半神と呼ばれるもの、
広大な地上にあってわれらの世代に先立つ種族であったのじゃ、
しかし、この種族も忌まわしき戦(いくさ)と怖るべき闘いとによって滅び去った――
あるものはカドモスの国土、七つの門のテーベーの城下で、
オイディプースの家畜をめぐる戦いに斃(たお)れ、
あるものは髪美(うる)わしきヘレネーのために、
船を連ねて大海原を越え、トロイエーに渡って果てた。
(中略)
かくなればわしはもう、第五の種族とともに生きたくはない、
むしろその前に死ぬか、その後に生れたい。
今の世はすなわち鉄の種族の代なのじゃ。
昼も夜も労役と苦悩に苛まれ、その熄(や)む時はないであろうし、
神々は苛酷な心労の種を与えられるであろう、
さまざまな禍いに混って、なにがしかの善きこともあるではあろうが。


ヘーシオドス「仕事と日」 松平千秋訳 より

メーロスの建設されたとされる時代は、その崩壊直後の時代となっています。この時代のことを、つまり英雄の時代から鉄の時代に移る様子をギリシア人はどのように記憶していたのかを、私は知りたく思っています。しかし、この時代については手掛かりが少ないです。


メーロス島に近いテーラ島について、テーラースという人物がスパルタからの植民団を率いてテーラ島に植民した、という伝説が伝わっています。テーラースは当時のスパルタ王が幼かったので摂政になってスパルタの政治を執っていたのですが、王が成人して実権を握るとそれが不満となって、スパルタを出ていったのでした。メーロス島を建設した誰かについても何か伝説が残っているとよいのですが、私はまだそれを見つけることが出来ていません。ひょっとしたら、テーラースが率いた植民団の一部がテーラ島に向かう前にメーロス島に到達して、そこが気に入ってしまい、そこに町を建てた、ということかもしれません。あるいは植民団の中で仲違いが発生して分派が出来、それがメーロス島に向ったのかもしれません。