神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

クノッソス(20):プラトーンが再構成した先史時代(4): 再びドーリス人について

話は、トロイア戦争後に進みます。

アテナイからの客人 きっとそれらの都市が、かのイリオン(トロイア)に向かって軍を勧めたのでしょうね、それも、おそらくは海路をも使って、その頃はすでに、誰もが、恐れることなく海を使っていたのですから。


レイニア そのように思われます。


アテナイからの客人 そしてアカイア人は、ほぼ10年とどまって、トロイアを荒廃させました。


レイニア そのとおりです。


アテナイからの客人 ところで、そのイリオンの包囲されていた期間が10年ともなると、その間に、包囲していた者それぞれの母国では、若者たちの内紛のために、多くの不幸がもち上がっていました。というのも若者たちは、兵士たちが自分の国や家に帰還したとき、立派なふさわしい仕かたで彼らを受けいれず、むしろその結果、おびただしい死刑や虐殺や追放が生じてくるありさまでした。その追放された者たちは、その後、名前をかえて再び戻ってきましたが、彼らは、アカイア人と呼ばれるかわりに、ドリア人(=ドーリス人)と呼ばれました。その理由は、追放されたその者たちを糾合したのが、ドリエウスという人だったからです。


プラトーン「法律」第3巻第4章 森進一・池田美恵・加来彰俊訳 より

この引用の最後に登場するドーリス人の起源についての話は一考に値します。というのは、広く流布された伝説にあるように(「(10):ドーリス人の来歴」を参照)ドーリス人が狭いドーリス地方を発祥とするならば、古典期に広い地域に住んでいたドーリス人の人口はどこからやってきたのかが疑問になるからです。ドリエウスという人物の実在は疑わしいですが、それまでギリシアで主要な種族であったアカイア人の一部がドーリス人になったと考えれば、人口の問題は解決します。


なおここには、伝説にあるようなヘーラクレースの子孫がドーリス人を引き連れてペロポネーソスに攻めて来た、という話は出てきません。しかし、のちの箇所でプラトーンは、この伝説を前提とするような内容を「アテーナイからの客人」に語らせています。ここから先の成り行きについては古代ギリシアの一般的な伝説に従ったようです。

アテナイからの客人 ではわたしたちは、頭の中で、かりにこういう時代に身を置いてみることにしましょう。ラケダイモン(=スパルタ)、アルゴス、それにメッセネが、それぞれの所有領もろとも、メギロスよ、あなたの祖先の支配下にすっかり置かれていた、そういう時代にです。だがその後、物語の伝えるところによると、彼らはその軍勢を三分し、アルゴス、メッセネ、ラケダイモン(=スパルタ)の三つの国家を建設する決心をもつに至りました。


メギロス そのとおりです。


アテナイからの客人 そしてテメノスがアルゴスの、クレスポンテスがメッセネの、プロクレスとエウリュステネスがラケダイモン(=スパルタ)の、それぞれ王となりました。


メギロス そのとおりですとも。


プラトーン「法律」第3巻第5章 森進一・池田美恵・加来彰俊訳 より

上で言われていることは「(10):ドーリス人の来歴」で述べたこととほぼ整合が取れています。そして、アルゴス王テーメノス、メッセーネー王クレスポンテース、スパルタ王プロクレースとエウリュステネースが皆ヘーラクレースの子孫であることをプラトーンが認めていたことは、以下の文章から分かります。

アテーナイからの客人 (中略)
当時の軍隊の編制は、三つの国(アルゴス、スパルタ、メッセーネー)に分割されながらも、ヘラクレスの子供にあたる兄弟の王のもとで、一つに統一されていたわけですが、その考案も整備もなかなか見事で、それは、かのトロイアに渡った軍の編制よりはるかにすぐれていると、思われていたようです。というのも、当時の人びとは、まず第一に、彼らのいただいているヘラクレスの子孫の方が、ペロプスの子孫より、支配者としての比較においてよりすぐれていると思っていたし、さらにまた、その軍隊の方が、トロイアに渡った軍隊より、勇気の点でまさっているとも思っていたのです。じじつ、前者の方が勝利を収めたのに対して、後者、つまり(トロイアに渡った)アカイア人たちは、前者によって、つまりドリア人(=ドーリス人)たちによって負かされたのですから。


プラトーン「法律」第3巻第6章 森進一・池田美恵・加来彰俊訳 より


しかしプラトーンは、ドーリス人のクレータ島侵入の経緯について述べていません。ドーリス人がクレータを、そしてクノッソスを手に入れたのは、どういう経緯だったのでしょうか? それは、相変わらず謎のままです。