神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

コリントス(21):アデイマントス

BC 480年のペルシア軍侵攻の時にコリントスの水軍の司令官は、アデイマントスという人物でした。歴史家ヘーロドトスはこのアデイマントスのことを、アテーナイの将軍テミストクレースを引き立てるためのの敵役として語っているようです。テミストクレースはサラミースの海戦を勝利に導いた智将でした。ヘーロドトスは、サラミースの海戦の前夜、この海域での決戦を主張するテミストクレースに対して、アデイマントスが反対する様子を描いています。

指揮官たちが参集したとき、エウリュビアデス(=全軍の総司令官。スパルタ人)が召集の趣旨を説明するのもまたず、切実な必要に迫られていたテミストクレスは滔々と論じ出した。するとコリントス部隊の指揮官であったオリュトスの子アデイマントスが彼の言葉を遮っていうには、
テミストクレスよ、競技でも出発の合図を待たず飛び出したものは、棒で打たれるぞ。」


ヘロドトス著「歴史」巻8、59 から

この時はまだテミストクレースも穏やかに応酬したのでした。テミストクレースが自分の意見と戦略を述べ終ったあと、アデイマントスはさらに反発します。

テミストクレスが右のように弁じていると、コリントス人アデイマントスは再び彼に喰ってかかり、祖国を喪(うしな)ったものは黙っておれといい、さらにエウリュビアデスに向って亡国の民であるものを決議に参加させる法はないと詰め寄った。


ヘロドトス著「歴史」巻8、61 から


アデイマントスがこんなことを言ったのは、当時アテーナイがすでにペルシアによって占領されていたからでした。アテーナイ市民は海上での決戦に全てを賭け、戦うことの出来る男たちは全員船に乗組み、女性と子供や老人は近くの都市に疎開したのでした。これは戦略的な都市放棄でした。それを(ヘーロドトスによれば)アデイマントスが「祖国を喪(うしな)ったものは黙っておれ」と言ったのですから、テミストクレースは怒りを発して当然です。

 さてこの時はテミストクレスも、アデイマントスおよびコリントス人一般をさんざんに嘲罵し、自分たちに兵員を具えた二百の艦船のある限り、自分たちには彼ら同盟諸国よりも強大な国家と国土があるのだ、現にアテナイの攻撃を撃退しうる力のある国は、ギリシア中を探しても一国だにないではないか、と論証してみせたのである。


同上

戦艦こそ我々の祖国、我々の国土と、言い放ったのでした。このようにアデイマントスはテミストクレースの引き立て役になっています。


物語の中でアデイマントスにこの役を割り振ったのはヘーロドトスではなく、当時のアテーナイ人だったのかもしれません。彼らはサラミースの海戦の際のアデイマントスの行動について、とんでもない中傷をしていたようです。

アテナイ人の語るところによれば、コリントスの指揮官アデイマントスは、両艦隊が戦闘に入るとたちまち狼狽して極度の恐怖に襲われ、帆を揚げて遁走し、他のコリントス部隊も司令官の標識をつけた船の逃げるのを見て、同じく逃亡したという。逃亡してサラミス領内のアテナ・スキラスの神殿のあたりにさしかかったとき、彼らは神の送られたものとしか考えられぬ一隻の小舟に遭遇した。この小舟を送ったものは遂に判らず、またこの舟が近付いたときコリントス人はギリシア艦隊の運命については何も知らなかったのである。彼らがこれを神の仕業と推定した理由はこうである。その小舟はコリントスの船団に近付くと、それに乗ったものたちが次のようにいった。
「アデイマントスよ、そなたはギリシア軍を裏切り、船を返して逃亡せんとはやっているが、すでにギリシア軍は敵軍撃破を祈願したとおりに、勝利を収めているぞ。」
 こういったがアデイマントスがそれを信じないので、彼らは重ねて、自分たちを人質として連行し、もしギリシア軍の勝利が確かめられぬなら、殺してくれてもよい、といった。そこでアデイマントスは船を返し他の船もこれにならって、すでに戦闘の終った後に本隊に着いたという。
 コリントス部隊についてはそのような噂が、アテナイ人によっていいふらされているのであるが、コリントス人自身はそのような噂を否定し、自軍が海戦で第一級の働きをしたと信じている。そして他のギリシア諸国もその主張の正しいことを証言しているのである。


ヘロドトス著「歴史」巻8、94 から

つまりアテーナイ人の噂によれば、アデイマントスは指揮官でありながら敵前逃亡した上に、正体不明の小舟に乗った人物によってギリシア軍の勝利を聞かされて、半信半疑のまま戦場に戻った、というのです。しかし、他のギリシア諸国の人々はコリントス軍が海戦で第一級の働きをしたことを証言しているとヘーロドトスは最後に書いています。つまり、アデイマントスが敵前逃亡したというのは根も葉もない話なのでした。私は、最初にご紹介した話にもアテーナイ人のバイアスがかなりかかっているのではないか、と疑っています。