神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

コリントス(15):ペリアンドロス(1)

キュプセロスの子で後継者のペリアンドロスについては、多くの話が伝えられています。まずは、ペリアンドロスの治世に起こったというアリオーンとイルカの話を紹介します。

ペリアンドロスはキュプセロスの息子で、(中略)彼はコリントスの独裁者であったが、コリントス人のいうところでは――レスボス人もそれを認めているが――彼の在世中、世にも珍しい事件があった。メテュムナの人アリオンが、海豚に乗って海上をタイナロン岬まで運ばれたというのである。アリオンは当時彼に比肩するものなしとされた竪琴(キタラ)弾きの歌い手で、われわれの知る限りではディテュランボスの創始者命名者であり、コリントスでこれを上演した人物である。


ヘロドトス著「歴史」巻1、23 から

メーテュムナはレスボス島の町です。そのレスボス島の人々もコリントスの人々も以下の伝説を持っていたということです。

 コリントス人の話では、アリオンは多年ペリアンドロスの許にいたが、イタリアとシケリアへ渡る気を起し、渡航後その地で多額の金を儲け、再びコリントスへ帰ろうとした。コリントス人をどこの人間よりも信用していたアリオンは、コリントス人の船を傭い、タラス(タレントゥム)から出航した。


ヘロドトス著「歴史」巻1、24 から-

この時代、イタリア南部とシケリア(今のシシリー島)にはギリシア人の植民市がいっぱいありました。アリオーンはそれらギリシア植民市を訪問して、竪琴演奏で大儲けしたのでした。なお、タラスは今のイタリア南部の町ターラントです。のちにローマの支配下に入った時にこの町はラテン語でタレントゥムと呼ばれました。

ところが海上に出てから、船員たちはアリオンを海に突き落して、金を奪おうと企らんだ。これを悟ったアリオンは、金をやるから命は助けてくれ、と頼んだが船員たちは聞き入れず、陸地で埋葬して欲しければ自分で命を断て、さもなくばさっさと海へ飛び込めと強要した。脅迫によってぬきさしならぬ羽目に追いこまれたアリオンは、そのようにきまったことなら致し方ないが、せめて自分が演奏のときの完全な衣装を着け、後甲板に立って歌うのを見逃してくれ、と頼んだ。歌い終ったらば自決すると約束したのである。船員たちは世界最高の歌い手の歌を聞けるかと思うと嬉しくなって、船尾から船の中央へ移った。アリオンは完全な衣装を着け竪琴を手にとると、後甲板に立って高い調子の祭礼歌(ノモス)を一わたり歌い、歌が終るとともにその完全な衣装のまま海中に身を投じた。船はコリントスに向けて走り去り、アリオンの方は一頭の海豚が彼を拾い上げて、タイナロン岬に運んだという。陸に上ったアリオンは衣装をつけたままコリントスへゆき、事の次第を残らず物語った。ペリアンドロスはその話を信ぜず、アリオンをどこへも出さず厳重に見張るとともに、船員たちの動向に注意していた。やがて彼らがコリントスへ来ると、ペリアンドロスは彼らを呼んで、アリオンがどうしているか知らないかと訊ねた。彼らが、アリオンはイタリアで無事でおり、タラスで別れるときも元気にしていたと答えた途端、アリオンが海中に飛び込んだ時と同じ姿で彼らの前に現われたのである。彼らは仰天し、証拠を突き付けられてはもはや犯行を否認することができなかった。
 以上がコリントス人およびレスボス人の語るところで、タイナロン岬にはアリオンが奉納したという、海豚に人の跨(またが)った、余り大きくない青銅像がある。


同上

のちの伝説では、このイルカはアポローン神に嘉されて大空に昇り、「いるか座」になったということになっています。


(右:いるか座)


また、ペリアンドロスは、アテーナイとミュティレーネーの間の紛争の仲介もしています。ということは、ペリアンドロスにはそれだけの権威があったということなのでしょう。アテーナイとミュティレーネーは、かつてトロイアがあったトローアス地方の領有権を巡って争っていました。ミュティレーネーはかつてこの地方に植民市シゲイオンを建設しましたが、アテーナイに奪われてしまいました。ミュティレーネーはシゲイオンの近くに新たにアキレイオンという植民市を作って、シゲイオンを攻撃していました。

ミュティレネ側はこの地域の返還を要求したのに対し、アテナイはその請求権を認めず、このイリオン(トロイア)の地域に関しては、メネラオスに加担してヘレネ誘拐の報復をしたアテナイはじめその他のギリシア諸国以上に、アイオリス人が請求権をもつはずがないことを論証して、ゆずらなかった。
(中略)
 ミュティレネアテナイは、キュプセロスの子ペリアンドロスの調停によって和解した。両者がペリアンドロスに調停を依頼したのである。ペリアンドロスが示した調停の条件は、双方とも現在占拠している地域を保有するということであった。こうしてシゲイオンはアテナイの領有に帰したのである。


ヘロドトス著「歴史」巻5、94~95 から