神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ピュロス(7):線文字B文書

テーレマコスが去ったあとのネストールについては物語が伝わっていないようです。ネストールが死んだ時にはあとには息子のトラシュメーデースやペイシストラトスが残されていました。彼らについても話はほとんど伝わっていません。ではここで、考古学から何か分かることがないか、見てみましょう。


ピュロスでは線文字Bという、BC 1200年頃に使用されていた文字の資料(粘土板)が出土しています。

(上:線文字B


線文字Bの資料が大量に出土したのは、クレータ島のクノッソスとピュロスの2か所だけで、その他の地域からは少量しか出土されていません。この線文字Bは1952年にイギリスのマイケル・ヴェントリスによって解読されていて、古代のギリシア語であることが分かっています。では、この線文字B資料からネーレウスやネストールの名前が出て来たでしょうか? 結論からいうと出ていません。線文字Bの粘土板には多くの人名や、地位を表わすと思われる名前が書かれていましたが、王の名前と断定できるものはありませんでした。ただ、王の名前ではないか、と推定されるものはあります。その名前はエンケリュアーウォーンという名前であり、ネーレウスでもネストールでもトラシュメーデースでもありませんでした。

ピュロス王の名前を記した文書は全く残っていない。しかしE-ke-ra2-wo(復元形は不明だが、おそらくエンケリュアーウォーン Enkhelyawon というような語形と思われる)という名前の、きわめて高い身分の男がおり、この人物こそ王ではなかったかとも考えられる。


チャドウィック著「ミュケーナイ世界」より

ほかに王の名前は残っていないのでしょうか? 例えば歴代のピュロス王の名前を記録した文書などはないのでしょうか? 実は、線文字Bは徴税の記録や、物品の在庫の記録、物品の支給の記録などにしか使われていなかった、と想像されています。今のところ、歴代の王名を記録したような文書は見つかっておりません。しかもこれらの文字を記した粘土板は、焼き固めることをしなかったので、長期の保存には適していませんでした。では、出土された線文字B粘土板は、なぜ何千年もの間、その形を保っていたのでしょうか? それは、宮殿の火事によって偶然に焼き固められたと、推定されています。


伝説を線文字B資料から補強することは望み薄のようです。やはり伝説は史実とはかけ離れていると考えるのが妥当なのでしょう。それでも少なくとも1つのことについては、線文字B資料が伝説を支持していました。それはピュロスと海の神ポセイドーンの深い関係についてです。



(右:ポセイドーン神)


伝説ではピュロスは海の主神ポセイドーンと深い関係にありました。まず、ピュロスの王ネーレウスはポセイドーンの息子であり、ネストールはそのネーレウスの息子です。伝説におけるピュロス王家はポセイドーンの子孫なのでした。次にホメーロスの「オデュッセイアー」に、ピュロス王ネストールがポセイドーンを祭る儀式が登場しています。野外でネストールがピュロス住民とこの儀式を執り行っている時に、テーレマコスはネストールに出会ったのでした。

(ピュロスの)市人(まちびと)たちは、今しも海の渚に出て、犠祭(にえまつり)のため、
総身が黒い牡牛を幾匹、か黒の神の、大地を揺する大神(=ポセイドーン)へ
捧げるところで、そこに九つ座を設けた、その各自に五百人ずつ
腰を下ろして、めいめい自分の座の前に九匹の牡牛を控えておいた。
して市人らが、臓物をわけて味わい、御神へは腿の骨肉(ほねみ)を焼いて奉(まつ)った。
(中略)
「それでは祈りを、客人よ、ポセイダーオーン(=ポセイドーンの別名)の尊(みこと)にお献げのよう。
そのおん神の宴(うたげ)祭りに、こちらへ来て、お出会いなさった次第でして。・・・」


ホメーロスオデュッセイアー」第3書 呉茂一訳 より

一方、ピュロス出土の線文字Bの資料は、ピュロスが一番崇拝していた神がポセイドーンであることを示していました。

ピュロスにおけるポセイドーン王の祭に関するホメーロスの言及(『オデュッセイア』3.43)を想起するまでもなく、この地の神々の中でポセイドーンが最も重要な神であったと結論してよかろう。毎年定期的に穀物貢納を受ける主要な神として記されているのは、ポセイドーンだけなのである。Es文書群の粘土板には、13人の土地所有者がポセイドーン、ならびに私たちには未知の3人の神々に対する小麦の貢納を課せられたことが記されているが、ポセイドーンに対する貢納量は群を抜いて多く、およそ1075リットルにも及んでいる。彼はまた、牛、羊、山羊、豚、小麦、葡萄酒、蜂蜜、軟膏、羊毛、布などを含むさまざまな奉納品の受領者でもある(Un 718, 852, またUn 6参照)。さらにまたこの神は、香油ないしは軟膏の割当てに関する重要な文書群(Fr)においても際立った地位を占めている。


チャドウィック著「ミュケーナイ世界」より

このようにピュロスとポセイドーン神との関係は、考古学的にも確かめられるものでした。