神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ピュロス(3):ヘーラクレースの侵攻

ピュロスのネーレウスのところに、ギリシア神話で最大の英雄であるヘーラクレースが来たことがあります。ヘーラクレースは自分の味方であったイーピトスという人物を狂って殺してしまい、その殺人の穢れをネーレウスに清めてもらおうとしてピュロスにやってきたのでした。



(左:ヘーラクレース)


ヘーラクレースは生まれた時からゼウスのお妃である女神ヘーラーに憎まれており、ここぞという時にヘーラーが送った狂気によって心ならずも、とんでもないことをしでかしてしまう、という運命にありました。この時は、イーピトスの妹であったイオレーをヘーラクレースに与えるかどうかで、イーピトスの父エウリュトスとヘーラクレースは対立していました。元はといえば、エウリュトスが弓の競技を催し、勝利者に娘イオレーを与えると宣言したことから起きたことでした。つまりヘーラクレースはこの弓の競技に参加して勝利したので、イオレーを要求したのでした。しかしイーピトスを除くイオレーの兄たちはヘーラクレースがかつて自分の妻子を殺したことがあるので、イオレーをヘーラクレースに与えるのに反対しました。ヘーラクレースが自分の妻子を殺したのも、ヘーラーが送った狂気によるものでした。ヘーラクレースにこういう前科があれば、イオレーの兄たちの危惧ももっともなものです。このようなわけでエウリュトスとヘーラクレースの間柄がぎくしゃくしている時に、エウリュトスの所有する牛たちが何者かによって盗まれました。エウリュトスはこれをヘーラクレースの仕業であると考えました。しかしイーピトスはそれを信ぜず、ヘーラクレースの味方をしました。そして、ヘーラクレースが当時住んでいたティーリュンスの城へ行き、ヘーラクレースに一緒に牛を探してくれるように頼みました。ヘーラクレースはイーピトスを歓迎しました。ところがこの時ヘーラーがヘーラクレースに狂気を送ったので、ヘーラクレースは城壁からイーピトスを投げ落して、殺してしまったのでした。


さて、ヘーラクレースからこの殺人の清めを懇願されたネーレウスですが、元々ネーレウスはエウリュトスと友誼を結んでいたので、この懇願を断りました。ヘーラクレースは引き下り、別に人物によって清めてもらったのですが、この時のことを怨んでいました。このほかにも、ヘーラクレースがオルコメノスのエルギーノスを攻めた時に、ネーレウスがエルギーノスの味方をしたこともあり、これもヘーラクレースの怒りをかいました。


このようなことが原因となってヘーラクレースはある時、兵を率いてピュロスに攻め込んできました。これに立ち向かうのはネーレウスと11名の息子たちでした。12番目の息子ネストールだけは、別のところ(ゲレーニアという地と言われている)にいて不在でした。さて、ネーレウスの長子ペリクリュメノスは、ネーレウスの父である海神ポセイドーンから、変身する力を授けられていました。ペリクリュメノスは、その力を使い、大蛇になったり、鷲になったり、ライオンになったりして、ヘーラクレースを攻撃しました。ところが彼が蜜蜂になった時に、ヘーラクレースの味方をしていた女神アテーナーがヘーラクレースにそのことを指摘したので、ヘーラクレースは蜜蜂の姿をしたペリクリュメノスを指で押しつぶして殺してしまいました。ネーレウスの他の10名の息子たちもヘーラクレースによってことごとく討ち取られてしまいました。ホメーロスの「イーリアス」の中では、ネーレウスの息子ネストールが、その時のことを思い出してアキレウスに語るシーンがあります。

それも私たちピュロスの者は数が少なく、酷い目に逢うていたもの、
それというのも 先の年頃、かの豪勇のヘーラクレースが
来て私らをやっつけ、名だたる者は みなその折に斃れたからだ。
すなわち十二人も、(父)ネーレウスは 骨柄優れた息子を持ってた、
それがみな、私(=ネストール)一人を残して、他はことごとく死につくしたもの、


ホメーロスイーリアス」第11書 呉茂一訳 より(690行あたり)


ネーレウスはからくも殺られずに済みましたが、生き残った息子はネストール一人になりました。ただし、ネーレウスの孫は少なくとも一人いて、無事だったようで、ペリクリュメノスにペンティロスという息子がいたことが伝えられています。このペンティロスの子孫からはアテーナイ王メラントスやコドロスが出ます。


ピュロスの国力はこの戦いによって弱まりました。そのために、ピュロスの北にあるエーリスの人々(エペイオイ)から侮られることになりました。エーリスの王アウゲイアースが戦車競技を催した時のこと、ネーレウスは馬4頭と戦車と馭者を派遣して、競技に参加させました。この4頭の馬はかつて別の競技で賞を貰った優秀な馬たちでした。しかし、アウゲイアースはこの馬たちを気に入ってしまい、自分のものにしてしまったのでした。そして、馭者だけがエーリスを追われて、ピュロスに帰国したのでした。

さればこそ 青銅の帷衣(よろい)をつけたエペイオイらは思い上がって、
私らを非道にあしらい、勝手なことを企らみつづけた。


同上