神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ピュロス(4):ネストールの初陣

エーリス人に虐げられてきたピュロスですが、これに一矢報いたのがネーレウスの一番下の息子のネストールでした。彼は単独でエーリスに行き、イーテュモネウスという者を殺し、牛や豚や馬を奪ってきたのでした。

・・・・その折私(=ネーレウス)はイーテュモネウスを
殺したものだ、あの勇ましいヒュペイロコスの子で、エーリスに住もうていた、
奪うた群を 追うてゆくと、彼(あれ)は自分の牛らを護って、
先陣で戦ううち、私(わし)の手から投げつけられた槍に当たって、
伏し倒れたれば、あたりに居合わす田舎の者らは 胆を冷やした。
それから四辺の野路よりして 山ほどもの分捕りものを 狩り集めた、
五十にあまる牛の群、また同じほどの羊の群に、
同じほどの 豚の群、そのくらいの、野に広がる山羊の群など。
また栗毛の馬は 百とあまり五十頭にも及ぶという、
そのすべてが牝馬でもって、その何匹もに仔馬が 添うてたものよ。


ホメーロスイーリアス」第11書 呉茂一訳 より(680行あたり)

ネストールは分捕り品である家畜たちを連れてピュロスに戻ってきました。それを見た父ネーレウスは、息子の手柄を喜びました。

その獲物を 私(わし)らは 夜をこめて、ネーレウスが所領のピュロスの里に、
城内にむけ追い入れたれば、ネーレウスは心に喜びをした、
私がやっと戦さに出たばかりの身で たんと獲物を獲て来たれば。


同上

ネーレウスは、これらの分捕り品をピュロスの人々に分配しました。その出来事から3日後に、エーリス人たち(=エペイオイ)が復讐のためにピュロスに攻めてきました。これに対抗する兵をピュロス側は組織しましたが、王ネーレウスはネストールがまだ若年なので、兵に加わるのを許しませんでした。

・・・・・アテーネー(女神)が
私らへ夜分報せに来て下された、オリュンポスから 駈けつけて、
武装をせよと。また御神が ピュロス中から呼び集めた者らも、
嫌々どころか、戦さをしようと勢い立ってた、だがネーレウスは 私に
物の具を着けて出るのを許してくれず、私の馬を隠してしもうた。
てんで私など戦さの業をわきまえぬ、と思うていたので。


同上 720行あたり

しかし、ネストールは意気盛んで戦いにはやり、馬なしで(武具は誰かから借りたのでしょう)兵に加わり、抜群の働きをしてエーリス人たちを撃退したのでした。ネストールはこれを女神アテーナーの神助によるものだとしています。

すなわち輝く太陽が 空へと登り出るやいなや、みなみな
ゼウス、またアテーネーに祈願をこめつ、戦闘を始めたところ、
いよいよ、ピュロス人らと エペイオイとの諍いとなった折に、
真先に敵の武者を殪したのは 私であった、それで単(ひと)つ蹄の馬どもを
奪って帰った。これはムーリオスとて武勇のつわもの、アウゲイアースの
婿に当たり、総領娘で、金色の髪のアガメーデーの夫であったが、
この女は、広い大地が養うほどの 薬草を みな心得ていた。
その男が向って来るのを、私が青銅をはめた手槍でもって
打ったれば、砂塵の中にどっと倒れた、私はまた車に跳び乗り、
先手の勢が間に列(なら)べば、意気の旺(さか)んなエペイオイらも
怖れて、あちらこちらへ逃げて散った、騎馬の手の大将とて、
戦いにも名だたる者が 討たれるさまを見かけたものでさ。


同上 740行あたり

こんなわけで、ネストールは初陣にして武勲を輝かしたのでした。戦いが終わった時

アカイア勢(=ここではピュロス勢を指す)は ブープラシオンから ピュロスへと速い馬を 引き返しつ、
誰も彼も、神々中ではゼウスに、人間ではネストールに 礼を言うた。


同上 760行あたり