神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

メガラ(14):サラミース島


サラミース島は、メガラとアテーナイの間に位置しています。神話時代はアイギーナ島の初代の王アイアコスの息子にあたるテラモーンや孫のアイアースがサラミース島の王であることに示されるようにアイギーナ島と深い関係にあったようですが、その後メガラ領になりました。ところがアテーナイもこの島の領有を主張し、メガラとアテーナイは戦争を繰返していました。その結果、アテーナイの政府は戦争に疲れ、サラミースの領有権の主張を取り下げ、それを市民に徹底させるために法律を作りました。

アテナイ市の人々はサラミス島をめぐってメガラ人に対し長期の困難な戦いを続けて疲弊した結果、今後はアテナイ市がサラミス島の領有を主張すべしという提案を、文書によるにせよ口頭にせよ出すことを禁じ、違反者は死刑に処するとの法律を定めた。


プルータルコス「ソローン伝」8 村川堅太郎訳 より

しかし、この時アテーナイ人ソローンは「サラミース」という歌を作って人々に聞かせ、サラミース島領有への希望を吹き込みました。それで市民たちはこの法律を破棄してメガラへの戦いを再開しました。そしてアテーナイ市民はソローンを軍隊の指揮官にしました。


サラミース島に植民しているメガラ人は、どうもアテーナイのソローンが兵を引き連れてサラミース島に接近しているらしいと、うわさに聞いて、あわてて武装するとともに、一隻の船を偵察に出しました。しかし、その船が戻って来ないうちにソローンが500名の兵とともに上陸して来ました。そこでメガラ人たちはこれを迎え撃ちましたが、負けてしまいました。一方、メガラの町のほうも同時にアテーナイ兵によって占領されました。この戦いのあと条約が結ばれ、サラミース島はアテーナイの領有になりました。しかし、ソローンが兵を引いたのち、またメガラはアテーナイとの戦争を開始しました。こうしてメガラはアテーナイに損害を与えたり、逆にアテーナイから損害を受けたりしていましたが、スパルタに調停を頼むことに両者は同意しました。スパルタから審判として来た5名の人々は双方の言分を聞いたのち、サラミース島をアテーナイの領有と裁定しました。その裁定は、サラミース島の領主アイアースがトロイア戦争で死んだのち、その息子たちであるピライオスとエウリュサケスがアテーナイから市民権を与えられてサラミース島をアテーナイに贈与した、という伝説があるのを根拠にしたものでした。


この頃のメガラの指導者の名前や事績が伝わっていれば話がもっと明瞭になるのですが、残念ながらアテーナイ側の話しか伝わっていません。さて、アテーナイはサラミース島の領有権の主張にトロイア戦争直後の神話時代の話を持ってきたのですが、メガラの立場になって考えると、神話時代にはメガラとサラミース島の関係もまた深いのでした。というのはアイアースの母親はペリボイアで、ペリボイアはメガラ王女だったですし、アイアースの父テラモーンの母親、つまりアイアースの祖母であったエンデーイスもメガラの軍事指導者スケイローンの娘で、スケイローンはメガラ王子だったからです。


さてその後アテーナイに政変が起きました。これには前回お話ししたキュローンのクーデタ未遂事件が関係しています。メガラの僭主テアゲネースの娘婿だったアテーナイ人キュローンはアテーナイのアクロポリスを占拠して政権を奪取しようとしたのですが、逆に包囲されてしまったのでした。キュローンは何とか包囲を脱出したのでしたが、自分の手下や舅のテアゲネースから借りた兵士たちは、包囲に堪えかねて女神アテーネーの神域に籠って助命を嘆願したのでした。しかし当時のアテーナイの筆頭アルコーンだったメガクレースは彼らを処刑してしまいました。神に助けを求めた者を殺すことは当時、宗教的なタブーでした。このためにメガクレースとその一族はアテーナイ市民から「穢れ者」と見られるようになりました。キュローンの事件から1世代以上経った当時もキュローン派の人々が勢力を持ち、メガクレースの子孫と対立していました。当時の政治情勢によりメガクレースの子孫は裁判によって有罪となり、国外追放となりました。彼らはアテーナイの有力貴族の家系だったので、この追放はアテーナイ市に大きな影響を与えました。このゴタゴタを知ったメガラは、再びアテーナイを攻め、サラミース島を奪還しました。

彼らは有罪ときまり、生存者は追放され、すでに死んだ者の死骸は掘り出して国境の外に投げ捨てた。この騒ぎに乗じてメガラ人が攻撃して来たのでアテナイ人はニサイアを失い、サラミスから再び追い出された。


プルータルコス「ソローン伝」12 村川堅太郎訳 より


ただ、このあとよく分からない経緯でサラミース島はまたしてもアテーナイの領有になっています。おそらくペイシストラトスという人物がアテーナイの僭主であった頃にアテーナイの領有になったのでしょう。ペイシストラトスはかつてメガラとの戦いで、メガラの港ニーサイアを占領するのに功績のあった人物でしたので、僭主になってからもメガラを攻撃した可能性があります。