神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

スキューロス(5):テーセウスのアテーナイ帰還(2)

テーセウスの遺骨がアテーナイに帰還した話の周辺には、いろいろ話がありますので(スキューロスから話が外れてしまうのですが)ご紹介したいです。


まず、デルポイの神託がアテーナイに対して「テーセウスの骨を持ち帰って、自分たちのそばにうやうやしく葬って守れ」との神託を下した背景についてですが、プルータルコスによれば、BC 490年にアテーナイがペルシア軍と戦ったマラトーンの戦いで、テーセウスの幻影が現れてアテーナイ勢に加勢した、という噂があったということです。

アテネ人がテセウスを半神として崇めるような気になったのは、後の時代になってからであり、ペルシア人に対してマラトンで戦った人々の中には、武装したテセウスの亡霊が彼らの前に立って、蛮族めがけて進んでいくのを見たと思ったものが少なくない。


プルタルコス著「テセウス伝」 35 太田秀通訳 より

この記事を支持する記述がパウサニアース「ギリシア案内記」にもあります。BC 460年頃にアテーナイに建てられたストア・ポイキレ(=彩色柱廊)には4つの絵が描かれていたのですが、そのうちの1つは「マラトーンの戦い」の絵です。ここには、アテーナイ軍とペルシア軍のほかにテーセウスの姿が描かれていたと、パウサニアースは書いています。

ここにはまた、平原の名前が付けられた英雄マラトーンの、そして、地下世界からやってきたふうに表されたテーセウスの、女神アテーナーの、ヘーラクレースの姿がありました。


パウサニアース「ギリシア案内記」 1.15.3より


(上:復元されたストア・ポイキレの「マラトーンの戦い」の絵の一部。テーセウスは赤枠に囲まれたところに描かれている。地面から出てきたように描かれている。)


ところがヘーロドトスはこのようなことを伝えていません。ヘーロドトスはペルシア戦争の歴史を調査して「歴史」を書いた人なので、この人がペルシア戦争を一番調査した人であるはずです。それなのに、ヘーロドトスはプルータルコスが伝えるような話を書いていません。その代り、「マラトーンの戦い」で牧神パーンがアテーナイの加勢をした話を「歴史」の中で述べています。

アテナイの司令官たちはまだ市内にいる間に、先ずアテナイ人のピリッピデスなる者を伝令としてスパルタへ送った。なおこの男は飛脚を業とする健脚家であった。このピリッピデスが自ら語りアテナイ人に報告したところによれば、彼がテゲア附近に聳えるパルテニオン山の辺にさしかかった時、牧神パンに遭遇したという。パンは大声でピリッピデスの名を呼び、自分はアテナイ人には好意をもっており、すでにこれまでもたびたびアテナイ人のために尽くしてやったし、今後もそのつもりであるのに、アテナイ人が一向に自分のことをかまってくれぬのはどういう訳か、アテナイへ帰ったならばそのように報告せよと命じたという。アテナイ人は彼の言葉を信じて、事態が収まった後アクロポリスの麓にパンの社を建立し、ピリッピデスの報告に基き、年々犠牲をささげ松明競争を催して神意を慰めている。


ヘロドトス著「歴史」巻6、105 から

ヘーロドトスがテーセウスについて書いていないのは、たまたま彼がそのような噂に出会うことがなかったからなのでしょうか? それとも何か別の理由があるのでしょうか? それはよく分かりませんが、当時の人々は戦争にこういう神異が付随することを信じていたのは確かなようです。


これらの話とは違って、アテーナイ勢に害をなすような神霊のしわざと思えるものもヘーロドトスは「歴史」に記しています。

この戦い(=マラトーンの戦い)で次のような怪異な事件があった。クパゴラスの子でエピゼロスというアテナイ人が白兵戦となってよく奮闘したが、この時刀槍や飛道具による手傷を何一つ身に受けなかったのにもかかわらず両眼の明を失い、この時以来生涯盲目のままであった。私が人伝てに聞いたところでは、エピゼロスはこの遭難について次のように語っていたという。エピゼロスは重装した一人の巨大な男が自分の前に立ちはだかったように思ったが、その男の髯は盾の全面を蔽うほどであった。この幻の男は彼の傍を通り抜けると、傍にいた彼の戦友を殺したという。以上がエピゼロスの談話として私が仄聞したところである。


ヘロドトス著「歴史」巻6、117 から

この不気味な幻はアテーナイ兵エピゼロスの戦友を殺した(あるいは殺したように見えた)のですから、アテーナイ勢に敵対する意志を持った神霊ということになります。この神霊の正体をヘーロドトスは明らかにしていません。