神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

レームノス島(ミュリーナとヘーパイスティア)(11):ペルシア戦争

BC 498年、イオーニアの反乱が始まります。英語版のWikipediaの「ミルティアデース」の項によれば、ミルティアデースもこの反乱に参加したということです。しかしヘーロドトスにはそのことは出てきません。いずれにしろ、イオーニアの反乱が終息したのちのBC 492年にはペルシア支配下フェニキア海軍がミルティアデースのいるケルソネーソスに侵攻します。ミルティアデースは逃げました。ある限りの資産を5隻の三段橈船に満載し、家族も乗り込ませて、アテーナイ目指して逃げたのです。途中でフェニキア海軍に襲われ、ミルティアデースの長男が乗っていた1隻がフェニキア側に捕獲されてしまいますが、あとの4隻はアテーナイまで逃げ切りました。こうしてミルティアデースのレームノス支配は終わり、レームノスは再びペルシアの支配下に入りました。一方、逃げたミルティアデースは、レームノス島の支配権をアテーナイに譲るなどしてたちまちアテーナイの政界で有力者となり(もともと、ミルティアデースはアテーナイの有力貴族ピライダイ家に属していたことも有利に働いたのでしょう)、アテーナイの政策をペルシア敵視政策に引っ張ります。そしてBC 490年、いよいよペルシアがアテーナイに侵攻してきた時、マラトーンの戦いでアテーナイ軍を指揮して勝利したのでした。ペルシア軍はアテーナイから撤退しますが、レームノス島はペルシアの支配下のままでした。


10年後の2回目のペルシア侵攻の時、レームノス島の男たちはペルシア海軍の一員として従軍します。サラミースの海戦の前哨戦となったアルテミシオンの海戦で、ひとりのレームノス人がペルシア側からギリシア側に脱走したということです。

ギリシア軍はアルテミシオンに、異国軍はアペタイへとそれぞれ引き返したが、ペルシア方にとっては全く予想外の戦闘であった。この海戦中、ペルシア王麾下にあったギリシア人中ではただ一人レムノス人アンティドロスがギリシア軍に脱走してきた。アテナイ人はこの功により、サラミスの一地区を彼に与えた。


ヘロドトス著 歴史 巻8、11 から


翌年のミュカレーの戦いによってギリシア側はイオーニア地方からペルシア軍を追出し、その後、小アジアエーゲ海沿岸を制圧していきます。この時になってレームノスは本格的にアテーナイの支配下に入り、アテーナイからの植民者を受け入れたのでした。以降、100年以上にわたってレームノスはアテーナイの植民地であり続け、その後、マケドニア王国の領土となりました。


私のレームノス島についての話は以上で終わりです。レームノス島は、神話伝説については豊富であるのに、歴史時代に入るとあまり話題がない、という不思議なところでした。