神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

スキューロス(4):テーセウスのアテーナイ帰還(1)

ペルシア海軍にギリシア側が勝利したサラミースの海戦(BC 480年)から数年しか経っていないBC 476年あるいは475年にデルポイアポローン神の神託はアテーナイ人に対して「テーセウスの骨を持ち帰って、自分たちのそばにうやうやしく葬って守れ」と告げました。伝説の述べるところでは英雄テーセウスは、スキューロス島で死んだのでした。ですので、この伝説を信じるならば、テーセウスの骨はスキューロス島のどこかにあるということになります。しかしアテーナイの人々は、スキューロスに住むドロペス族が野蛮であると考え、スキューロス島に来てテーセウスの骨を探すのは無理だと考えました。


(右:ミーノータウロスを退治するテーセウス)


しかし、その頃アテーナイの政権を握っていたキモーンは、スキューロス島を占領します。

先ず最初にアテーナイ人は、ペルシア勢がたて籠るストリューモーン川河畔の都市エーイオーンを包囲攻撃して降伏させ、住民を奴隷にした。この作戦の指揮官はミルティアデースの子キモーンであった。次にエーゲ海の島スキューロスを攻め、此処に住んでいたドロプス人を奴隷にし、自分らの植民地にした。またその後、アテーナイ人とカリュストス人との間に戦が起った。


トゥーキュディデース著「戦史」 巻1、98 から

上のトゥーキュディデースの記事からは、アテーナイがスキューロスを攻撃した理由はよく分かりません。それよりずっと後世のプルータルコスは、この理由についてちょっと信じがたいことを書いています。

スキューロスにも植民したが、これをキモーンが占領したのはこういう原因によるのである。この島に移住していたドロペス族は農耕者として不適当であった。昔から海賊をはたらいていたが、しまいには自分たちのところへ船を着けて取引をする外国人までも容赦せず、クテーシオン(この島にある港)に停泊したテッサリアーの商人を捕えて禁錮した。しかしその人々は束縛を脱して逃げ出しアンフィクテュオネス(ギリシャの諸市が毎年春デルフォイに秋アンテーレーに代表を出して集まった政治的宗教的会議)にこの町を告訴したが、スキューロスの民衆は財物を弁償することを欲せず、掠奪して所有している人々にその返還を要求したところが、その人々は恐れてキモーンに手紙を送り、軍艦を率いて来れば自分たちが町を引渡すからそれを占領してくれと頼んだ。そこでキモーンはこの島を手に入れてドロペス族を放逐してエーゲ海を自由なものとした。


プルータルコス「キモーン伝 8」より。(原文の旧かなづかいや旧漢字を改めました。)

ちょっと文意を取り難い文章です。まず、スキューロス島に住む海賊がテッサリアの商人の財産を奪ったという話があります。次に、この商人が海賊の許から脱出し、アンフィクテュオネスという都市間会議にスキューロス島を告訴しました。この告訴を受けてスキューロス島の住民は、この海賊に商人の財産を返すように要求しました。しかし、海賊は商人に財産を返すつもりはなく、アテーナイの政治家キモーンに手紙を出して、スキューロス島を占領するように懇願したというのです(ここのところが、納得がいきません)。彼らはキモーンが来たら、スキューロスの町をキモーンに明け渡すとも手紙に書いた、ということになっています。この手紙を受け取ったキモーンはスキューロスの町を占領し、ドロペス族を町から追放したのでした(ここも納得できない箇所です。キモーンは海賊の味方をして、財産を商人に返却するように勧告した道義的な人々を、島から追放した、というのでしょうか)。こんな話よりも、単にスキューロス島を根拠地としている海賊たちを除去するために(あるいはそれを口実として)、キモーンはスキューロス島を占領した、と考える方がすっきりしています。


さて、島を占領したアテーナイの将軍キモーンは、デルポイの神託を思い出し、テーセウスの骨を探して、アテーナイに持ち帰ろうと考えました。

キモンは、(中略)墓を発見してやろうとの名誉心に駆られているうちに、いい伝えによると、一羽の鷲がある丘状の場所を嘴でつつき爪で引搔いているのを見て、一種の神的な幸運によってその意味を悟り、そこを掘り返したという。すると大きな死体の入った棺と、その側に青銅の槍と剣とが発見された。これらのものがキモンによって三段橈船にのせて運ばれてくると、アテネ人は喜んで、まるでテセウス自身が町に帰って来たかのように、華々しい行列と犠牲の儀式とをもって迎えた。そしてテセウスは町の中央の今のギュムナシオン(体育場)の傍らに葬られて横たわっている。


プルタルコス著「テセウス伝」 36 太田秀通訳 より

これが本当にテーセウスの骨だったのかどうか私には疑問に思えます。おそらくミュケーナイ時代の首長の誰かの墓を見つけたのでしょう。しかし、当時の人々はこれが伝説のテーセウスの骨であると本当に信じていたと思います。私はこの話に、神話と歴史の間に架けられた橋を感じます。