神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

クニドス(9):ソーストラトス

アレクサンドロス大王が急死したのち、彼の将軍だったプトレマイオス(1世)はエジプトを自分の勢力下に置くことに成功し、エジプト王に即位しました。彼の治世に首都アレクサンドリアの沖に高さ134mほどの、古代としては巨大な灯台が建設されました。なぜ高層の灯台が必要だったかと言えば、アレクサンドリア付近はナイル河のデルタ地帯であり、海上の船舶が遠くから港の位置を知るために地形を利用しようにも、山というものがなかったからです。

かつて、この灯台には以下のような碑文が刻まれていたそうです。

エジプトには島嶼のような山の上の見張り台がなく、
船が停泊する防波堤は低いところにある。
それゆえ、天空を切り裂いてまっすぐ高々と屹立することで、
この塔ははるか遠くからも望むことができる。


「都市アレクサンドリアと初期ヘレニズム時代の東地中海世界:セーマ・大灯台・図書館」 周藤芳幸著 より

実は、この引用の直前にクニドス人の名前が登場します。

ギリシア人の救済神として、このファロス(=アレクサンドリア港の沖合にある島)の見張りを、
おおプロテウス神(=海の神)よ、クニドスのデクシファネスの子ストラトスが奉納した。


同上

このクニドス人ソーストラトスというのは、どんな人物なのでしょうか?  日本語のウィキペディアの「クニドスのソストラトス」の項によれば、ソーストラトスは、建築家でありアレクサンドリアの大灯台を設計した人物、と書かれています。しかし、「都市アレクサンドリアと初期ヘレニズム時代の東地中海世界:セーマ・大灯台・図書館」 周藤芳幸著(名古屋大学教授)によれば、彼は単なる建築家ではなく、プトレマイオス朝エジプトを含む東地中海世界に影響力を持つ政治家だったようです。たとえば、アポローンの神託所で有名なデルポイから出土した碑文には、デルポイがソーストラトスとその子孫に対して様々な特権を与えたことを述べているそうです。また、同じくアポローン神の聖地デーロス島から出土した碑文は、キュレーネーやカウノスの市民がデーロス島にソーストラトスの彫像を建立したことを伝えているそうです。ということは、これら2つの都市はソーストラトスから何らかの恩恵を受けたということです。また、デーロス島を拠点とする島嶼の同盟がソーストラトスに対して顕彰を決議したことを示す碑文も出土しています。また、アテネから出土の碑文には、BC 286年、アテーナイがマケドニア王デーメートリオスに対して反乱を起こし、そのためにデーメートリオスの軍隊に包囲された時、エジプト王プトレマイオス1世はアテーナイ救出のためにソーストラトスを派遣し、デーメートリオスと和平について協議させたことが出ているということです。


(右:プトレマイオス1世)



(左:デーメートリオス1世)

これらの一連の史料は、クニドスのソストラトスプトレマイオス一世に重用されたエジプトの宮廷人であったばかりではなく、他の(アレクサンドロスの)後継者からも一目置かれ、当時の東地中海世界の情勢に広く影響力を及ぼすことのできた国際的な有力者であったことを示している。


同上

クニドス人ソーストラトスがエジプトの宮廷に関与していたことに関連して、BC 6世紀のアマシス王の時代にクニドスの商人たちはすでにエジプトに拠点を置いたことを私は思い出しました。クニドスは昔からエジプトとは関係が深かったわけです。

建築家としてであれ奉納者としてであれ、彼がアレクサンドリアの大灯台の建設に貢献したのも、東地中海を舞台とする国際政治のフィクサーとして、視覚的にも機能的にもエジプトを東地中海と強固に結びつけるモニュメントに強い関心を抱いていたからではないだろうか。実際、アレクサンドリアの大灯台によって利益を得たのは、プトレマイオス朝の経済的繁栄を享受することのできた東地中海の海上交易に従事する商人たちだったと推測されるのである。


同上

私は、クニドスを含むエーゲ海東岸のギリシア人都市を拠点とする「海上交易に従事する商人たち」を組織化した実力者としてのソーストラトスの姿を想像します。そしてエジプトの首都アレクサンドリアのランドマークである大灯台に、支配者エジプト王の名前でなく自分の名前を刻ませることの出来たソーストラトスの得意の様子を想像します。


私のクニドスについての話は、これで終わります。