神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

クニドス(8):クニドス派の医学

クニドスから北に向って海を越えて20kmぐらいのところにあるコース島は、医聖と呼ばれたヒポクラテースの出身地であり、古代ギリシアの医療の中心地として有名でした。ここでの医療のやり方はコース派と呼ばれていました。この学派とは別のクニドス派と呼ばれる医療の学派がクニドスにありました。


今回、クニドスを取り上げるにあたってクニドス派についても書こうと思って調べたのですが、コース派の対抗者としてクニドス派の名前と簡単な説明だけが出て来るのが大部分で、クニドス派を正面に論じた文書がなかなか見つかりませんでした。その際に見つけたものの中で「植物療法と予防医学 (古代からゲーテへ)」 大浜宏文著(生化学・医療史)はクニドス派について比較的多く説明をされていましたので、そこから引用します。

ギリシア医療の基本は人間学環境学、栄養学をも含めた、広範囲にわたる)である。したがって、健康が人間の本来の姿であるからには、人間を考える前提として健康が重要な位置を占めることになる。病気は人間を損なう障害である。ギリシア人は健康の本質をきわめて分析的な思考によって理解しようとし、そのためにしばしば実験科学的な手法を用いている。生理現象の基本に平衡という概念を据え、基本要素の平衡関係がさまざまな現象を生み出すと考えた。ギリシア医療を液体病理論をとる立場と固体(臓器)病理論の立場に分けて考える場合が多いが、病巣の場を体液にとるか臓器にとるかの違いの重要性もさることながら、両理論に共通するギリシア医療の特徴を明らかにすることも重要であろうと考える。人間の「健康」という基本的な問題を考察するとき、人間を全人的に見て、環境・栄養などの影響を重視しつつ身体全体のつり合いを考えるコス派ヒポクラテスに代表される)は、体液理論を基本的な考え方として主張する立場から体液、脈管、混和、平衡を重視することになる。一方、体液理論に反発するクニドス派(ヘロディコス、エウリポンなど)の固体(臓器)病理論を標榜する立場からは、病気を臓器における異常と見る考え方に立ち、病因となる有害物質が局所に集積されて障害を引き起こし、その障害の質と程度は有害物質の種類に依存すると考えた。有害物質は体液によって局所に運ばれると考えられるから、クニドス派にとっても体液は見逃せない重要な因子であるが、それ以上に臓器における病巣の判断に視点が置かれていた。両者の違いは病気そのものの診断の仕方に顕著に現れている。すでにこの時点においてコス派は「健康」を医学思想のなかで優先させるが、クニドス派は病に冒された局所の治療を前提とする考え方を重視している。ここに現代に通じる二つの対立する医学思想の萌芽を見ることができる。コス派は病気を細分化することなく、ヒト全体の状態の変化として捉えようとしたが、クニドス派は病気の分類とその判定に力を入れる。コス派の基本は人体のピュシス(自然)を重要な能力と考え、ピュシスのもたらす自然治癒力が重要な働きをすると考えたが、クニドス派の基本は病気の分類を重視し、そのカテゴリーの規範にしたがって診断・治療する考え方を優先させた。


「植物療法と予防医学 (古代からゲーテへ)」 大浜宏文著(生化学・医療史)より

この記述によればクニドス派は「病気を臓器における異常と見る考え方に立ち、病因となる有害物質が局所に集積されて障害を引き起こし、その障害の質と程度は有害物質の種類に依存すると考えた」ということですので、現代の医学の立場から見ても正統的な考え方に見えます。対するコース派は「人間を全人的に見て、環境・栄養などの影響を重視しつつ身体全体のつり合いを考える」ということで(こちらも現代科学に対応するものがあることにはあるものの)分析的でない点がひっかかります。しかしそうであるからこそ、ヒポクラテスは現代医学のアンチテーゼとしてよく取り上げられるようです。それに対してクニドス派は現代人から見てもまとも過ぎるために、取り上げられることが少ないようです。


クニドス派がいつ頃から存在していたかについてですが、英語版のWikipediaの「クニドス」の項では、

ヘレニズム時代、クニドスは医学の学派を誇っていました。しかしこの学派が古典期の始めから存在していたという学説は根拠のない推定です。

とあって、古典期(BC 5~4世紀)には存在したかどうか分からないとしています。一方、BC 7世紀からクニドス派は存在していたとする本もありました。私にはどちらが正しいのか分かりません。以前、ご紹介したクテーシアース(ペルシア王アルタクセルクセース2世の侍医)をクニドス派の医者のひとりに数える本もありました。さて、コース派の医者たちもクニドス派の医者たちもアスクレーピアダイ、つまりアスクレーピオスの子孫を名乗っていました。アスクレーピオスは神話の世界に登場する医療の神です。アスクレーピオスを祭った神殿は、病気平癒を願う人々が参詣し、信仰を集めていました。その神殿の神官の中から、科学的な思考をする、医者と呼んでもよい人々が生れたのでした。



(右:アスクレーピオス)


私は、ヘレニズム時代(BC 3~1世紀)のクニドスが魅力的な町であったと想像します。当時この町は、クニドスのアプローディテーの像が有名であり、そしてクニドス派の医療でも有名だったのです。各地から多くの旅人がクニドスを訪れたと思います。そして旅人の流入はクニドスに古くからある貿易業と相まってこの町を栄えさせたことでしょう。