神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

クラゾメナイ(7):アナクサゴラース(1)

BC 480年の第2次ペルシア戦争では、クラゾメナイは戦艦と乗組員の供出をペルシアから命ぜられ、ペルシア海軍の一員としてギリシア本土を侵略するために従軍しました。この軍はアテーナイ沖のサラミースの海戦ギリシアに大敗します。翌BC 479年、ギリシア諸国の連合艦隊によってイオーニアはクラゾメナイを含めて、ペルシアの支配下から解放されました。


アナクサゴラースはクラゾメナイ出身の哲学者で、ディオゲネース・ラーエルティオスの「ギリシア哲学者列伝」によれば、第2次ペルシア戦争でペルシアがギリシア本土に侵攻してきた時にアナクサゴラースは20歳であり、そしてアテーナイにやってきたのも20歳だった、ということです。そこで、アナクサゴラースはペルシア軍に従軍してアテーナイにやってきて、サラミースの海戦後、そのままアテーナイに住みついた、と推測する人もいます。しかし、私には首肯しかねる説です。というのは、サラミースの海戦の際、アテーナイ人はアテーナイの町を放棄して、海戦に全てを掛けて戦ったのでした。そして、アテーナイの町はペルシア軍によって占領され、ペルシア軍将兵の宿泊地として接収された建物以外は焼かれてしまったのでした。ペルシア軍を撃退したとはいえ、そのような荒廃したアテーナイにわざわざ移住しようとするものでしょうか? 私はもう少しあとになってからアナクサゴラースはアテーナイに移住してきたと思います。一方、彼がサラミースの海戦の際にペルシア側で従軍していた、ということはありそうなことだと思います。


(左:アナクサゴラース)


これもディオゲネース・ラーエルティオスによるのですが、アナクサゴラースは「生まれのよさでも財産の点でも抜きん出ていた」ということです。しかし、この財産を彼は親族に譲って、自然哲学の研究に打ち込んだのでした。

この人は生まれのよさでも財産の点でも抜きん出ていたが、さらに度量の大きさでも傑出していた。事実彼は、父親からの財産を身内の者たちに譲り渡したのであるから。
つまり彼は、財産を顧みないといって身内の者たちから咎められたとき、「それならどうしてあなた方がその面倒をみないのか」と答えたのである。そして結局彼は世間から退いて、公的な事柄に思い煩うことなしに、自然の事物の研究に専念したのであった。


ディオゲネース・ラーエルティオス「ギリシア哲学者列伝」の「アナクサゴラス」の章より

これは、エペソスのヘーラクレイトスの逸話を思い出させます。ヘーラクレイトスはエペソスの王位を弟に譲って、自分は哲学の探求に専念したのでした。ヘーラクレイトスについては「エペソス(6):ヘーラクレイトス(1)」に書きました。


小さいとはいえクラゾメナイも国家です。その都市国家の有力者として、その生まれからして国事に関わることを期待されていたアナクサゴラースが世間から遁れてしまったので、ある人がそれを非難しました。

ある人が、「君は祖国のことが少しも気にならないのか」と訊ねたとき、「口を慎んでくれたまえ。わたしには祖国のことが大いに気がかりなのだ」と答えたが、その指は天をさしていたのである。


同上

つまりアナクサゴラースにとっては、宇宙が祖国なのでした。そう考えると彼が祖国クラゾメナイからアテーナイに移住したにしても、別に他国に移住したことにはならなかったのかもしれません。



(右:ペリクレース)



アテーナイで彼はのちに大政治家になるペリクレースの知遇を得ます。ペリクレースはアナクサゴラースの知恵に驚き、彼を自分の助言者にしました。クラゾメナイで「政治に関わらない」と言って非難されていたアナクサゴラースが、アテーナイでは結果的に権力者の近くに位置するようになったわけです。年齢からすると二人はほぼ同年代で、たぶんアナクサゴラースのほうが若干若かったようです。

ペリクレスと最も親しく交わり、彼に民衆指導者の水準を超えた重厚な威厳と風格を与え、彼の性格の品位を全般的に引き上げ高めるのにあずかって力があったのはクラゾメナイの人アナクサゴラスであった。


プルータルコス「ペリクレース伝」4 馬場 恵二 訳 より



さて、アナクサゴラース以前の哲学者は、この世の万物の元になるものを探求していました。例えば最初の哲学者と言われるタレースは、万物の源を「水」と考えました。ヘラクレイトスは「火」と考えました。現代の言葉で言えば元素とか素粒子とかを探求していたわけです。しかしアナクサゴラースは、そういう物質だけではこの世の現象を説明することは出来ない、この世を秩序付ける「ヌース(精神、あるいは、理性)」が原理として存在するはずだ、と主張したのでした。彼より後の哲学者であるアリストテレースは、アナクサゴラースの学説を次のように評価しています。

ここにふたたび人々は(中略)真理それ自らに駆りたてられてつぎのような種類の原理を探し出した。というのには、存在するものどもの善くあり美しくありあるいは善く成り美しく成ることの原因が、まさか火とか土とかその他このような物質であろうはずは(中略)ないからである。(中略)だから、或る人が理性(ヌース)を動物のうちに存するように自然のうちにも内在するとみて、理性をこの世界のすべての秩序と配列との原因であると言ったとき、この人のみが目ざめた人で、これにくらべるとこれまでの人々はまるでたわごとを言っていたものかともみえたほどである。ともあれ明らかに、アナクサゴラスは、我々の知るところでは、こうした説をとっていた人である。


アリストテレース形而上学」第1巻第3章


そしてアナクサゴラース自身が「ヌース」とあだ名されるようになりました。

この人のことを当時の人々は「理性(ヌース)」と呼んだが、それは自然学に対する彼の造詣が人並みはずれて深いのに感嘆したためか、あるいは彼が万物に妥当する宇宙秩序の原理として「偶然」や「必然」ではなく、「理性」を定立した最初の人であったためである。


プルータルコス「ペリクレース伝」4 より