神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

テオース(1):テオース建設


(上:テオースと、その創建に関わったとされる町々)


テオースはイオーニア地方の町で、イオーニアの主要な12の町の一つです。イオーニア地方の真ん中に位置しているので、かつて哲学者ターレスが、イオーニア諸都市は団結してひとつの国を作り、テオースを首都とすることを提案しました。しかし、団結が不得意な古代のギリシア人たちであるところのイオーニア人たちは、ターレスのこの建言を実行しようとはしませんでした。

(上:テオースの古代劇場を上から見たところ)


テオースの起源についてですが、AD 2世紀の地理学者パウサニアースの著書「ギリシア案内記」によれば、最初にテオースにやってきたのはボイオーティアの古都オルコメノスからの人々で、彼らはミニュアイ人だったということです。しかしそうだとすると古典時代にテオースがイオーニア人の町であったことと整合が取れません。その点をパウサーニアスは、その後イオーニア人がテオースにやってきた、と説明しています。後発のイオーニア人が優勢になったのでテオースはイオーニア人の町になったとはっきり述べてはいませんが、そういうことなのでしょう。さらにその後、アテーナイからもボイオーティアからも植民団を受け入れたということです。

テオースには、かつてオルコメノスのミニュアイ人が住んでおり、彼らはアタマースと一緒にやって来ました。このアタマースは、アイオロスの息子アタマースの子孫であったと言われています。ここにもギリシア人と混血したカリア人の要素があり、一方、イオーニア人はメラントスの曾孫であるアポイコスによってテオースに導かれましたが、彼はオルコメノス人にもテオース人にも敵意を示しませんでした。数年後、アテーナイとボイオーティアから人々がやって来ました。アッティカの派遣団はコドロスの息子であるダマソスとナオクロスの指揮下にあり、一方、ボイオーティア人たちはボイオーティア人のゲレースによって率いられていました。双方の団体は、アポイコスとテオース人たちによって入植仲間として受け入れられました。


パウサニアス「ギリシア案内記」 7.3.6 より

上の記述にはいろいろな情報が含まれています。上の記述を少しずつ検討していきます。まず、以下の部分から始めます。

テオースには、かつてオルコメノスのミニュアイ人が住んでおり、彼らはアタマースと一緒にやって来ました。このアタマースは、アイオロスの息子アタマースの子孫であったと言われています。

オルコメノスのミニュアイ人を率いていたのはアタマースという人物でした。そして彼はアイオロスの息子であるアタマースの子孫と考えられていた、ということです。このアイオロスの子アタマースというのはギリシア神話に登場する人物で、ボイオーティア全体の王であったとも、ボイオーティアのテーバイあるいはオルコメノスあるいはコロネイアといった特定の町の王であったとも言われています。このパウサニアースの記述はおそらくアタマースをオルコメノスの王と考えているのでしょう。そうするとその子孫のアタマースもオルコメノスの王族、あるいは貴族であったのかもしれません。祖先のアタマースにまつわる物語はあとでご紹介しようと思います。

イオーニア人はメラントスの曾孫であるアポイコスによってテオースに導かれました

メラントスというと有名なのは、ピュロスの王族であったメラントスです。彼はヘーラクレースの子孫によってピュロスを追われ、アテーナイにやってきて功績を挙げてアテーナイ王になったという人物です。メラントスの息子でアテーナイ王を継いだのがコドロスで、彼の名前はパウサニアースの記述にも登場します。

数年後、アテーナイとボイオーティアから人々がやって来ました。アッティカの派遣団はコドロスの息子であるダマソスとナオクロスの指揮下にあり・・・・

アッティカというのはアテーナイ周辺の地方の名前です。ここではアテーナイとほぼ同義に考えてよいでしょう。ここで少し疑問になるのは、メラントスの曾孫であるアポイコスが率いる人々が「イオーニア人」と書かれているのに対して、コドロスの息子たちが率いる人々が「アッティカの派遣団」と書かれていることです。古典時代、アテーナイもイオーニア系とされていました。それでは両者は同じ集団を指していたのでしょうか? しかしパウサニアースがこう書き分けているのには何か理由があるようにも感じます。もし両者が違う集団だとすると、アテーナイ王コドロスの息子たちが「アッティカの派遣団」を率いているのは納得がいくのですが、アテーナイ王メラントスの曾孫アポイコスが「イオーニア人」を率いている事情がよく分かりません。イオーニア人というのはもともとペロポネーソス半島の北側に住んでいたが、アカイア人に故郷を追われてアテーナイに避難した、という伝説もあります。その人々をアポイコスが率いたということなのでしょうか? それともこのメラントスはコドロスの父親とは別の人物を指しているのでしょうか? 私には判断がつきません。