神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

エレトリア(1):エレトリア建設


エレトリアはエウボイア島(現代名:エヴィア島)にある都市です。このエウボイア島というのは大きな島で、日本でいえば佐渡島よりも大きく、四国よりも小さいという感じです。この島のおもしろいところは、大陸に、ほぼ、くっつきそうに見えながら、わずかに(40mほど)離れているので島になっている、というところです。この海峡をエウリポス海峡といいます。エレトリアはこのエウリポス海峡のすぐ東に位置します。


今回、エレトリアの建設について調べていたところ、高津春繁氏の「ギリシアローマ神話辞典」に、次のような記述を見つけました。

メラネウス
アルケシラーオスの子。エウボイア島にエレトリア市を築いた。この市はその時はメラネーイスと呼ばれた。


高津春繁著「ギリシアローマ神話辞典」より

エレトリアはメラネウスという人物が建設したというのですが、このメラネウスがどこから来たのか、どういう経緯でエレトリアを建設することになったのか、記述がありません。メラネウスの父親だというアルケシラーオスについては、この辞典にはその項目すらありません。また、この記述の出典も記されていません。そのため、この辞典からはこれ以上の情報を得ることが出来ませんでした。


そこでメラネウスについてネットで調べたのですが別の人物についての記事しか見つかりません。そこで今度はメラネーイス「Melaneis」についてネットで調べたところ、「In earlier times Eretria was called Melaneïs and Arotria.(以前、エレトリアはメラネーイスとアロトリアと呼ばれていました。)」という文章がヒットしました。これはBC 1世紀の地理学者・歴史家であるストラボーンの地理誌の英訳を公開したウェブサイトでした。ストラボーンの「地理誌」をネットで読むことが出来ることを、今回初めて知りました。上記の文章の前後を訳すと次のような記述でした。

エレトリアについては、トリピュリアのマキストスからエレトレウスによって植民したと言う人もいれば、現在は市場となっているアテーナイのエレトリアから植民したと言う人もいます。パルサロスの近くにもエレトリアがあります。エレトリアの領土には、アポローンにとって神聖な町タミュナイがありました。海峡の近くにある神殿は、アドメートスによって設立されたと言われています。アドメートスの家では、この神が1年間雇われて働きました。以前は、エレトリアはメラネーイスとアロトリアと呼ばれていました。その壁から7スタディオン離れているアマリュントス村は、この都市に属しています。


ストラボーン「地理誌 10・1・10」より

残念ながら、この記事にメラネウスについての記述はありませんでした。しかしエレトリアの起源についての情報がありました。それには2つの説があり、1つはペロポネーソス半島の西側にあるマキストスという町からエレトレウスという人物に率いられた人々が植民したというもので、この記事には書かれていないのですがおそらくこのエレトリウスの名を採って新しい町の名前とした、ということでしょう。もう一つの説は、アテーナイからの植民によって建てられた、というもので、それもアテーナイの中に元々エレトリアという地区があり、そこの住民による植民である、というものです。こちらの説では植民の指導者の名前は明らかではありません。この指導者の名前がひょっとするとメラネウスであったかもしれません。


ところで、歴史上エレトリアの名前が最初に登場する資料は、ホメーロスイーリアスです。そこでは、エウボイア島にいる領主たちをアバンテス(族)と呼んでいます。そしてその中にエレトリアを領する者がいると述べています。

さてエウボイアを領するは、その勢いも猛くはげしいアバンテスたち
カルキスエレトリア、さては葡萄の房に饒(ゆた)かなヒスティアイア
また海に臨んだケーリントスや、ディオスの嶮しい城塞(とりで)を保ち、
またカリュストスを領する人々、あるいはステュラに住まうものら


ホメーロスイーリアス」第2書 呉茂一訳 より

この詩行を信じるならば、エレトリアはトロイア戦争の頃から存在していたことになります。そうすると、マキストスから、あるいはアテーナイからの植民によってエレトリアが建設されたというのは、トロイア戦争以前のことでしょうか? 私にはよく分かりません。