神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

メーロス(5):メーロス対話(2)

しかしアテーナイ側は、メーロス側が抱く希望というものは根拠がないと反論します。

希望とは死地の慰め、それも余力を残しながら希望にすがるものならば、損をしても破滅にまで落ちることはない。だが、手の中にあるものを最後の一物まで希望に賭けるものたちは(希望は金を喰うものだ)、夢破れてから希望のなんたるかを知るが、いったんその本性を悟ったうえでなお用心しようとしても、もはや希望はどこにもない。諸君は微力、あまつさえ機会は一度しかないのだから、そのような愚かな目にあおうとせぬがよい。また人間として取りうる手段にすがれば助かるものを、困窮のはてついに眼に見えるものに希望をつなぎきれず、神託、予言、その他同様の希望によって人を滅ぼすもろもろの眼に見えぬものを頼りにする輩は多いが、諸君はかれらの真似をしないでもらいたい


トゥーキュディデース「戦史 巻5・103」より

メーロス側は、正義は我々にあり、神々が助けてくれると反論しますが、アテーナイ側は、神々の世界でも強きが弱きを従えているのだ、我々の為そうとしていることは、神意にもとるものではない、と答えます。

神も人間も強きが弱きを従えるものだ、とわれらは考えている。したがってこういうわれらがこの法則を人に強いるためにつくったのではなく、また古くからあるものを初めておのが用に立てるのでもない。すでに世に遍在するものを継承し、未来後世への遺産たるべくおのれの用に供しているにすぎぬ。なぜなら諸君とても、また他のいかなるものとても、われらがごとき権勢の座につけばかならずや同じ轍を踏むだろう。さればこれが真実ゆえ、われらにも神明のはからいに欠くるところがあろうなどと、思い恐れるいわれは見当たらぬ。


トゥーキュディデース「戦史 巻5・105」より

そしてアテーナイ側はメーロス側にこう忠告します。

ようするに諸君が生命の綱と頼んでいるものは、いつ実現するともしれぬ希望的観測にすぎず、また、すでに諸君の前に対峙している現実に比すれば、諸君の手の中の駒はあまりに少なく、とうてい勝ちみはない。(中略)
 不面目な結果が明白に予知されるような危機に立ったとき、人間にとってもっとも警戒すべきは、安易なおのれの名誉感にうったえること、諸君も心してもらいたい。おうおうにして人間は、行きつく先がよく見えておりながら、廉恥とやらいう耳ざわりのよい言葉の暗示にかかり、ただ言葉だけの罠にかかってみすみす足をとられ、自分から好んで、癒しようもない惨禍に身を投ずる。そうなれば、不運だけならまだしも、不面目の上塗りに不明のそしりをこうむるのだ。諸君は、十分に協議すれば、このあやまちから免れえよう。また、最大の国が寛大な条件で降伏を呼びかけているとき、これに従うことをなんら不名誉を恥じる要はない。諸君は従来どおりここに住み、年賦金を納めれば、われらの同盟者となれるのだ。それのみか、戦争か安寧か、という選択さえ与えられているとき、頑迷にも、より愚かな道をえらぼうとせぬがよい。


トゥーキュディデース「戦史 巻5・111」より

ここでメーロス側はアテーナイ側を中座させ、自分たちだけで協議するのですが、その結論は、アテーナイに抗戦するというものでした。

アテーナイ人諸君、われらの考えは最初に述べたとおりだ。われらは、すでに七百年の歴史をもつこの国から、一刻たりと自由を剥奪する意志はない。今日までわが国の安泰を嘉(よみ)したもうた神明のはからいを信頼し、また人間の、とりわけラケダイモーン人(=スパルタ人)の加勢のあらんことを頼みに、国運安泰に力をつくしたい。また諸君にたいしては、われらが友好国、中立国であることをみとめるように要請するとともに、貴国とわが国と双方にとって適当と見なされる平和条約を相互に締結し、われらの領土から撤退するよう、申し入れたい


トゥーキュディデース「戦史 巻5・112」より


このようなメーロス側の回答を受けた結果、アテーナイはメーロス島を包囲し、最終的にメーロスはアテーナイに無条件降伏したのでした、アテーナイの処置は苛酷なものでした。メーロス人の成人男子全員が処刑され、女子供は奴隷にされたのでした。このような処置を行ったのが民主制のアテーナイであった、という点が私の興味を惹きます。民主制はしばしば暴走するのだ、ということを私は感じます。


さて、メーロス人にとってはアテーナイ側の要求を呑むほうがが賢い判断だったのでしょうか? その後の歴史が分かっている私たちから見れば、それが賢い判断だったようです。というのは、最終的にアテーナイはスパルタに敗北したからです。それはBC 404年のことで、メーロス島にアテーナイ軍が侵攻した時から12年もあとのことでした。その12年間を待つということも大変なことだったかもしれません。しかし、成人男子全員が処刑され、女子供は奴隷にされるよりかはマシだったでしょう。