神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

メーロス(4):メーロス対話(1)

メーロス対話というのは、ペロポネーソス戦争のさなか、メーロスに侵攻してきたアテーナイ軍からやってきた使者とメーロス島の代表者たちの間でなされた、とトゥーキュディデースが自著「戦史」の第5巻で描いた対話です。その対話は詳細なものであり、どうしてこのような対話の詳細を当事者でもないトゥーキュデュデースが知ることが出来たのか、という疑問が生じます。そのため、この対話が本当になされたのかどうかを疑問視する説も多いです。しかしたとえこれがトゥーキュディデースの創作であったとしても、強国が弱小国に対して主張する強圧的な論理を活写したものとして、そして今日においても通用する真実を描いたものとして、このメーロス対話は有名です。


BC 416年、アテーナイの軍隊は中立を宣言していたメーロス島に上陸し、アテーナイに服属するように圧力をかけてきました。アテーナイ軍が派遣した使者はメーロス島の代表者たちに会って、アテーナイに敵対せず、軍門に下るよう説得します。それに対してメーロス側は、そもそもこの会談自体がどのみちメーロスにとって困難な結果しかもたらさないものでしかないのではないか、という懸念を表明します。

メーロス側の出席者は答えて言った。
「(前略)戦いがすでに目下の現実であるこの場所でただいまの諸君の論は空疎としか思われぬ。じじつわれらの見うけるところ、諸君自身はあたかも裁判官としてこの会談の席にのぞむがごときであり、またこの会談の結末は二者一択であることもまずはまちがいない。われらの主張が勝ち、ゆえにわれらがゆずらぬことになれば戦い、われらの論が破れれば隷属に甘んじるほかはないからだ」


トゥーキュディデース「戦史 巻5・86」より

これに対して、アテーナイ側は、ならばこの議論を打ち切ろう、と答えます。何とか活路を見出したいメーロス側はアテーナイ側をなだめます。アテーナイ側は互いに本音で話し合おうといい、外交関係における弱肉強食の理を主張します。

われら双方はおのおのの胸にある現実的なわきまえをもとに、可能な解決策をとるよう努力すべきだ。諸君も承知、われらも知っているように、この世で通ずる理屈によれば正義か否かは彼我の勢力伯仲のとき定めがつくもの。強者と弱者のあいだでは、強きがいかに大をなしえ、弱きがいかに小なる譲歩をもって脱しうるか、その可能性しか問題となりえないのだ


トゥーキュディデース「戦史 巻5・89」より

そして彼らは会談の目的を次のように説明します。

今回やって来た目的は、われらの支配権に益をはかり、かさねてこの会談に託して諸君の国を浮沈のきわから救うこと、この趣旨の説明をつくしたい。われらの望みは労せずしてわれらの支配下に置き、そして両国たがいに利益をわかちあう形で、諸君を救うことなのだ


トゥーキュディデース「戦史 巻5・91」より

これに対してメーロス側は異議を唱えます。

これは不審な。諸君がわれらの支配者となることの利はわかる、しかし諸君の奴隷となれば、われらもそれに比すべき利が得られるとでも言われるのか


トゥーキュディデース「戦史 巻5・92」より

それに対してアテーナイ側はこう言い放ちます。

諸君は最悪の事態に陥ることなくして従属の地位を得られるし、われらは諸君を殺戮から救えば、搾取できるからだ


トゥーキュディデース「戦史 巻5・93」より

「諸君を殺戮から救えば、搾取できる」というのは何とも、身もふたもない言い方です。メーロス側は、自分たちの中立を認めてもらえないか、と主張します。アテーナイ側は「諸君から憎悪を買っても、われらはさしたる痛痒を感じない」と答えます。そしてメーロスに譲歩すれば、アテーナイが現在属領としている諸国がアテーナイを弱体化していると誤解して、反乱を企てるであろう、との予測を示し、それを回避するためにメーロスを服属しなければならぬ、と主張します。メーロス側は、ならばアテーナイに対して戦うのみ、と答えます。

われらにとって、今降伏することは今絶望を自白するに等しい、だが戦えば戦っているあいだだけでも勝ち抜く希望が残されている


トゥーキュディデース「戦史 巻5・102」より

しかしアテーナイ側は、メーロス側が抱く希望というものは根拠がないと反論します。