神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

カルキス(1):はじめに

カルキス(現代名:ハルキダ)はエウボイア島(現代名:エヴィア島)にある都市です。このエウボイア島というのは大きい島で、日本でいえば佐渡島よりも大きく、四国よりも小さいという感じです。この島のおもしろいところは、大陸にほぼくっつきそうに見えながら、わずかに(40mほど)離れているので島になっている、というところです。この海峡をエウリポス海峡といいます。カルキスはこのエウリポス海峡のすぐ北に位置します。


拡大してもくっついているように見えます。


さらに拡大してもこの通りです。


実際の写真で見ても川のように見えます。


しかし、これが川でない証拠は、流れが一定していないことです。つまり潮の満ち引きによって流れが逆流したりするのです。


ホメーロスと並んでギリシア文学の劈頭に位置付けられる詩人ヘーシオドスの作品の中に、「仕事と日」という勤労の尊さを説いた教訓詩があります。この詩を読むとヘーシオドスは航海を嫌っているのですが(そしてそれはギリシア人としては珍しいことなのですが)、この詩の中で自分が今までの人生の中で唯一船に乗ったのは、このエウリポス海峡を渡った時だと、誇らしげに語っています。なお、この詩は怠惰で自分の財産を狙う弟に向けて語る、という設定になっています。

もしお前が、その浮ついた心を商売に向け、
借財と楽しからぬ餓えを逃れたいと思うなら、
わしが鳴りとよむ海の掟を教えてやろう――
もっともわしは航海のことも船についても確かな知識はもたぬのだが。
わしはこれまで、広漠たる海を船で渡ったことは一度しかない、
その一度とはアウリスからエウボイアへ渡った時――そのかみアカイア勢が、
聖なるヘラスから、美女の国トロイエーに向かうべく大軍を集め、
嵐の熄(や)むのを待っていたそのアウリスのことだが、
ここからわしは、英邁の王アンピダマースの葬いの競技に加わるべく、
カルキスに渡った。


ヘーシオドス「仕事と日」 松平千秋訳 より

ヘーシオドスが人生で一回だけ船に乗ったのは、たった40mの距離でしかなかったのです。ここにヘーシオドスのユーモアを見るべきなのか、それとも彼は、ここまで船に乗ることを避けて来たことを本当に誇っているのか、判断がつきません。なお、彼の上の詩行から分かるように、カルキスの反対側の町アウリスでは、トロイア戦争に出征するギリシア軍の艦隊がかつて集結したことがあったのでした。