神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

イアーリュソス(11)ロドス(2):ロドス島の巨像

さて、デーメートリオスは軍をロドス島から撤退させましたが、それはエジプト王プトレマイオスの軍隊がロドス島に到着したからでもありました。デーメートリオスの軍勢の撤退が非常に慌ただしいものだったために、攻城櫓を始めいろいろな戦争機械がロドス市周辺に置き去りにされました。これらの戦争機械の巨大でメカニックな様子は、包囲されていたロドス市民らですら、思わず見とれてしまうものだったそうで、デーメートリオスはこういう機械を発案することに特異な才能を持っていたのでした。

デーメートリオスの手仕事は王にふさわしいもので、そのやり方には偉大なところがあり、その作品の妙味や精巧と共に雄大な計画と意向を併せていたので、工夫や資力ばかりでなくそれを作った手まで王にふさわしいということが明らかにわかった。現にその大きさが味方を驚かせたばかりでなく、その美しさは敵までも感服させた。(中略)ロドスの人々は長い間デーメートリオスに攻囲されていたが、戦争の結末がついた時、その機械をいくつかもらい受けて、デーメートリオスの勢力の記念と同時に自分たちの武勇の記念にしたいと頼んだ。



プルータルコス「デーメートリオス伝」20節 河野与一訳 より。(ただし、旧漢字、旧かなづかいは、現代のものに改めました。)


デーメートリオスの撤退後、ロドス市民はその勝利を祝い、これらの戦争機械を売り払いました。そしてそれで得たお金でロドス島の主神であるヘーリオスの巨像をロドス市の港の入口に作ることにしました。巨像制作の総監督にはリンドスの彫刻家カレースが選ばれました。巨像の製作はBC 292年に始まり、12年後に完成しました。高さ32メートルの、当時としては馬鹿でかい神像です。ニューヨークの自由の女神像の古代版と考えればよいでしょう。こういう巨大な彫像をギリシア語でコロッソスと言います。これは世界の七不思議の一つに数えられました。


ところがこの七必見(七不思議)の1つであるロドス島の巨像はBC 226年に起きた地震のために膝から折れて倒壊してしまいます。ということは80年にも満たない存在であったのですが、それにもかかわらず世界の七不思議としてずっと後世までその名が伝わるとは、かなりラッキーな存在のように思えます。さて、ロドス市民は、神ヘーリオスに似せて巨大な彫像を作ったことが、神の怒りに触れたのだろうと考え、この巨像を再建しようとはしませんでした。


私のイアーリュソスについての話は、このロドス島の巨像の話で終わりにします。最後に、ゲーテの「ファウスト」にこのロドス島の巨像のことを踏まえたセリフがあるのをご紹介します。ゲーテは神話世界のロドス島にいた「テルキーネス」たちが、神々の像を始めて作ったという話と、このロドス島の巨像(太陽神ヘーリオスをかたどった神像)建設、そしてその後それが地震で倒れたという話をわざとごちゃまぜにして話を作っています。場面は、ファウストが絶世の美女ヘレネーを求めて「古代ワルプルギスの夜」を探索する場面で、舞台は「岩に囲まれたエーゲ海の入江」です。また、下の引用に出て来る「テルヒネたち」というのは「テルキーネス」のドイツ語読みです。ここの場面では次から次へと古代ギリシアの神話上の種族や人物が登場しては消えていきます。

テルヒネたち
(中略)
幸福なロドスの申上げることをお聴き下さい。
(中略)
陽の神は昼の歩みを始め、中空に昇り、
燃える光の眼差しでわれらを見詰められます。
山々、町々、岸辺も波も
神の御意に召して、親しげで晴れやかです。
霧も立ちこめませんが、たとい霧が湧いてきても、
一筋の陽光、一陣の微風で、島はまた元の姿に立ち返ります。
気高い神は御自分の姿が、あるいは若者として、
あるいは巨人として、あるいは偉大に、あるいは柔和に刻み上げられているのを見そなわす。
神々の御稜威を厳かな人間の姿に創り刻んだのは、
われわれだったのです。われわれが最初だったのです。


ゲーテ作「ファウスト(二)」 高橋義孝訳 より。

このようにテルキーネスたちは、ヘーリオスの巨像を作ったことを述べます。史実ではもちろん半人半魚のテルキーネスたちではなく人間が作ったのですが。


このテルキーネスたちの言葉は、海の神プロテウスには気に入らなかったようです。

プロテウス
ああして歌わせておけ、威張らせておけ。
太陽の聖なる生命の光の前では、
生命のない拵え物などは洒落にもならぬ。
(中略)
巨大な神像がいくつも立ってはいた――
が、一度の地震で滅茶苦茶にされてしまったではないか。

(中略)
 地上の営為は、それがどういうものであれ、
所詮は無駄な骨折りなのだ。

どうも、テルキーネスとプロテウスは人工と自然の対立を表しているようです。