神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

キオス(4):ホメーロス(1)

キオスは、現代においてでも、ホメーロスがキオスの出身である、と主張し、旅行者に対してそれをアピールしています。ホメーロスの出身地として有力なスミュルナが現代ではトルコ領になっているので、ギリシア国内ではキオスが、ホメーロスの出身地として最も有力、という事情もあるようです。


キオスがホメーロスの出身地であるとする根拠の1つは、かつてキオス島にはホメーロスの子孫であると称するホメーリダイという一族がいたことです。彼らは、ホメーロス叙事詩の吟唱を職業にしてきました。これが、根拠の1つ目です。


もうひとつは、ホメーロス作と言われる「アポローンへの讃歌」の途中で、以下のような言葉があることです。

お前たち乙女一同もごきげんよう。そして私のことを後々まで覚えていてくれるように。もし地上に住む人間の誰か、苦難の果てにこの地までたどりついた旅人が、
「乙女たちよ、数ある詩人の中でも、お前たちにひときわ甘美な、この地を訪(おとな)う詩人、それはいったい誰なのか。誰ゆえにお前たちはいちばん、心喜ばせるのか。」
と尋ねたならば、きっとお前たちは皆、私の名をあげて答えてくれよう。
「その人は盲目。険しいキオスに居を構え、作る歌はどれも後の世まで残る最上のもの。」
私の方も、この地の上を、立派に築かれた町々の限り巡り歩き、お前たちの栄誉を運んでいこう。


アポローンへの讃歌、岩波文庫 四つのギリシャ神話(「ホメーロス讃歌」)より

少しこの叙述の背景を説明すると、舞台はエーゲ海の真ん中の島デーロスです。アポローン神の聖地として有名なところです。そしてこの詩は、デーロス島でのアポローンの祭を描いています。上の引用の冒頭の「お前たち乙女一同」というのは、そこでアポローン神に仕える女性たちを指しています。彼女たちを詩の中で褒め称えたこの詩の作者が彼女たちに対して、もし誰かが「数ある詩人の中で・・・・誰ゆえにお前たちはいちばん、心喜ばせるのか。」と尋ねたら、自分のことを答えてくれ、と懇願しているのです。しかし、このように答えて欲しい言葉の中にはホメーロスという具体的な名前はなく「その人は盲目。険しいキオスに居を構え、作る歌はどれも後の世まで残る最上のもの。」と述べるにとどまっています。ところで、伝統的にホメーロスは盲目であったとされています。そこでこれがホメーロスのことを指しているとすると「険しいキオスに居を構え、」という言葉が、ホメーロスがキオスに住んでいたことの証拠になります。これが根拠の2つ目です。


歴史家のトゥーキュディデースも、「アポローンへの讃歌」の作者をホメーロスだと信じていました。


ところが、ピンダロスという詩人の「ネメア競技祝勝歌」二番という詩に付けられた古代の注に以下のような記述があるために、事態は錯綜します。これは前記の詩に登場する「縫われた言葉の歌人(うたびと)なるホメーリダイ」という一節の「ホメーリダイ」に付けられた注です。

 昔はホメーリダイとはホメーロスの血筋をひき、ホメーロスの詩作を継承し歌うのを常とする人々を指したが、その後、もはや血統上ホメーロスにはさかのぼれないラプソードスもまた、この名で呼ばれることとなった。キュナイトス一派の人たちはその有名な例であった。彼らは多くの叙事詩を作りホメーロスの詩作の中に挿入したといわれている。
 キュナイトスはキオスの人であり、今日ホメーロスに帰されている詩のうち、アポローンに向けて書かれた讃歌を作りホメーロス作としたということである。このキュナイトスこそホメーロス叙事詩を第69オリュンピア期(BC 504/501年)、シュラクーサイで吟じた者と、ヒッポストラトスは伝えている。

これによれば、ホメーリダイは必ずしもホメーロスの子孫ではなさそうですし、上記の「アポローンへの讃歌」の作者もホメーロスではなく、キオスの人でキュナイトスという名前の人だということになります。