神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

キオス(5):ホメーロス(2)

では、ホメーロスはキオスの人ではないのでしょうか? しかし、そうとも断言出来ないのが悩ましいところです。高津春繁氏の「ホメーロスの英雄叙事詩

によれば、BC 8世紀のイオーニアの詩人セーモニデースの詩の中で「キオスの人のいとも麗しき言葉」として、以下の詩行を引用しているといいます。

まことに、木々の葉の世のさまこそ、人間の世の姿とかわらぬ

そして、これはホメーロスの「イーリアス」第6書の146行の言葉と同じなのです。戦場で敵味方として出会ったギリシア方のディオメーデースと、トロイア方のグラウコス。互いに相手を戦さの庭における勇者と認め、ディオメーデースがグラウコスに、いったいお前は誰なのか、と尋ねます。それに対してグラウコスが以下のように答えます。

気象にすぐれたテューデウスの子(=ディオメーデースのこと)よ、何故私の生れを問い訊(ただ)すのか。
まことに、木々の葉の世のさまこそ、人間の世の姿とかわらぬ、
木の葉を時に、風が来(きた)って地に散り敷くが、他方ではまた
森の木々は繁り栄えて葉を生じ、春の季節が循(めぐ)って来る、
それと同じく人の世系(よすじ)も かつは生い出で、かつはまた滅んでゆくもの。


ホメーロスイーリアス」第6書 呉茂一訳 より

グラウコスは、こう述べたあとで、自分の先祖から自分に至るまでの家系を述べていきます。セーモニデースがキオスの人の言葉として引用したのは、このような場面に登場するフレーズなのです。そうすると、やはりホメーロスはキオスの人ということになるのでしょうか? ただ、これが決定打にならないのは、このフレーズ自体を作った人が別にいて、ホメーロスもセーモニデースもともにその人から引用した可能性もあるからです。



(右:ホメーロス


それどころか、現代ではそもそもホメーロスという人物がかつて存在したのか、までも疑問視されています。現代に伝わるホメーロスの伝記はどれも信頼に足るものではないそうです。そうするとホメーロスという人物を定義するのに、「イーリアス」と「オデュッセイアー」という2つの長い長い叙事詩を作った人、と定義するほかありません。しかし「イーリアス」と「オデュッセイアー」が同一人物によって作られたという証拠はありません。さらに「イーリアス」にしろ「オデュッセイアー」にしろ、それぞれ一人の人物によって作られたという証拠もありません。文字の記録ではなく、朗唱によって伝承されていく叙事詩においては、その内容が朗唱者によっていろいろ継ぎ足され改変されていく、ということはままあることです。これらの叙事詩は多数の吟遊詩人によって長い年月の間に形成されていった可能性もあります。


ホメーロスの正体を探求するにつれて、その輪郭がどんどん薄れていき、なかなか結論に到達するこが出来ません。このブログは、神話と歴史の間を探求しようとするものですが、その間の世界はこのように不確かな事象に満ちています。このような時代については確かなことを述べることが出来ないのですが、それでもなぜか私はそこに惹かれ、何とかして何かを述べたくなってしまうのです。


これが、詩人ヘーシオドスになると、その実在性がはっきりしてきます。ヘーシオドスは自分の詩の中で自分の父親ことを述べているからです。

父上はその昔、アイオリスの町キューメーを後にして、
黒き船で大海を渡り、この地へ来られた。
父上が逃れてこられたのは、富でも金でも安楽な暮らしでもない、
ゼウスが人間に下される苦しい貧困からであったが、
ヘリコーン山のほとり、侘(わび)しき寒村に住みつかれた、
冬は辛(つら)く、夏は凌(しの)ぎがたく、四時住みやすからぬアスクレーの村にな。


ヘーシオドス「仕事と日」 松平千秋訳 より

ヘーシオドスは、ホメーロスより少し歴史側に寄った人物になります。