神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

レームノス島(ミュリーナとヘーパイスティア)(5):トロイア戦争

エウネーオスがレームノスの王の時にトロイア戦争が起こります。エウネーオスは戦いには加わりませんでしたが、ギリシア方を援助していました。イーリアスではエウネーオスの名は以下のように登場します。

折ふしレームノス島から 葡萄酒を運んで来た船が 浜にかかった、
夥しい船、それらはイエーソーンの子のエウネーオスが 遣わしたもの、
ヒュプシピュレーが、兵(つわもの)らの牧長(まきおさ)イエーソーンにより 儲けた子である。


ホメーロスイーリアス」第7書 から

上の引用では、エウネーオスをイエーソーンとヒュプシピュレーの子としています。イエーソーンというのはイアーソーンのことです。そのエウネーオスが、トロイアの海岸に陣取っているギリシア軍の陣屋に、ワインを積んだ船を送ってきた、というのが上の情景です。さらにギリシア軍の総大将にしてミュケーナイ王のアガメムノーンとその弟でスパルタ王のメネラーオスには別途、土産を送ってきました。

また別に、アトレウスの子ら、アガメムノーンと メネラーオスには、
甘酒(うまき)を イエーソーンの子は土産にもってゆかせた、六十石ほど。


同上

ここから、エウネーオスがギリシア側に味方していることが分かります。エウネーオスがワインをギリシア軍に提供しているのは、エウネーオスがワインの神ディオニューソスの孫であることも関係しているのかもしれません。


メネラーオスの妻で絶世の美女ヘレネーの返還を求めてトロイアに攻め寄せて来たギリシア軍は、トロイアの地に到着する前にレームノス島を訪れています。この時、たぶんエウネーオスが彼らを迎え入れたと思いますが、その時の様子は伝わっていません。この時にギリシア軍中の将軍の一人で弓の名人ピロクテーテースがレームノス島に置き去りにされるという事件が起こります。しかしこの物語では、レームノス島がまるで無人島であるかのように語られるので、上のイーリアスの話とつじつまが合いません。ピロクテーテースの話は次回、ご紹介します。


トロイア戦争中のある時(この戦争は10年続いたと言います。この出来事は、その9年目か10年目の頃のことです)、アキレウストロイアプリアモスの息子リュカーオーンを捕えて、それをレームノス島に奴隷として売りにきました。このリュカーオーンはトロイアの王子といっても母親はプリアモスの妃ヘカベーではなく、妾腹の子でした。プリアモスにはほかにも大勢の王子王女がいましたので、トロイアではそれほどの要人というわけでもありません。そのリュカーオーンをエウネーオスが買い取りました。百匹の牛と物々交換だったそうです。


(左:アキレウス


さて、レームノス島の東隣にはインブロス島という島がありますが、そこの王エーエティオーンはエウネーオスと懇意の間柄でした。インブロス島がよりトロイアに近いこともあってか、このエーエティオーンはトロイア方に味方していました。そうはあっても二人が懇意の間柄であることには差支えがなかったようです。そのエーエティオーンが、トロイアの王子がレームノス島に捕えられていると聞いて、エウネーオスから大量の金を支払ってリュカーオーンを買い取り、リュカーオーンの義理の母にあたるアリスベーの所へと送ったのでした。リュカーオーンはそこからトロイアへ戻ってまた戦場に出たのですが、またしてもアキレウスに出会ってしまうのです。トロイアに戻ってから12日目のことでした。リュカーオーンはアキレウスの膝にすがって命乞いをします。

「お膝に縋ってお願します、アキレウスさま、それに免じて神を畏れ、
お憐み下さい。ゼウスの護(も)り立つ貴君(あなた)さまへと、畏(かし)こい願人同然
来た者ですから。というのも私は、まず御手許でデーメーテール様の御米を
戴いたのです、構えも宜しい庭畑で、私をお捕えなさった日のこと。
それから私を 親父や身内の 者らから離して連れてゆき、いとも聖(とうと)い
レームノス島にお売りなされた、百匹の牛と引き換えにして。
それを今度は三倍の値を払って放されたのです。してこの朝で
イーリオスに帰って来てから 十二日目になったばかりの、
苦労をさんざさせてから 今また、あなたの御手に 引き渡したとは
無情(つれな)いばかりの運命(さだめ)というもの、・・・・


ホメーロスイーリアス」第21書 から

しかし今回は、生け捕りにしてもらうわけにはいきませんでした。アキレウスは親友パトロクロスを戦場で亡くしたばかりだったのです。いつも以上にトロイアへの敵愾心は高まっておりました。

愚かな者、けして償(つぐの)い代(しろ)など口に上せて、弁じたてるな、
というのもパトロクロスが 運命の日を迎えるまで、その間は
トロイエー人へ、一寸は 情をかけてやるのも 私の心に
好もしかった、それで多勢生捕りにしては売ってやったもの、
だが今となっては、死を免れる者が 一人としてあるべきではない、
(中略)
さればさ友よ、御身もまた死ね、何故そのように泣き悲しむのか、
パトロクロスさえ死に果てたのだ、御身より遥か優れていたのに。


同上

リュカーオーンはアキレウスに殺されてしまいます。アキレウスのせりふの「さればさ友よ、御身もまた死ね」という「友」というのはむろん反語であり、凄みを効かせています。そしてそれに続く「パトロクロスさえ死に果てたのだ」という言葉にはアキレウスの無念の深さを感じさせます。