神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

レームノス島(ミュリーナとヘーパイスティア)(3):トアース

神話の世界でレームノス島の王として名前が挙がっているのがトアースです。彼はブドウ酒の神ディオニューソスとその妃アリアドネーの子供でした。アリアドネーが人間の女の身でどうしてディオニューソスの妃になったのかということを説明する説話は一定していません。アリアドネーはクレータ島のクノッソスの王ミーノースの娘であり、父であるミーノースに反抗して、恋してしまったアテーナイの英雄テーセウスを助けて、テーセウスと一緒にアテーナイに行くはずでした。通常流布されている伝説では、2人がナクソス島に着いた時にテーセウスがアリアドネーを島に置いたまま出航してしまった、ということになっています。そして置いてきぼりにされたアドリアネーが嘆いているところにデュオニューソスが来て、アリアドネーを妻としたのでした。あるいは、テーセウスとアリアドネーがナクソス島にいる間にディオニューソス神がアリアドネーをさらっていった、という説もあります。とにかくディオニューソスアリアドネーをレームノス島に連れていき、そこで2人の間にはトアース、スタピュロス、オイノピオーンという息子たちが生れたのでした。




(右:ディオニューソスアリアドネー)


この中でトアースがレームノス島の王になりました。彼の兄弟たちはレームノス島から他所へ移ったようです。さて、トアースがレームノス島の王になったとはいえ、その臣民はどこから調達してきたんだ、という疑問が私には湧いてきました。ヘーパイストスを介抱したシンティエス人だったのでしょうか? このあたりはよく分かりません。トアースはミュリーネーというレームノス島の女性と結婚して、ヒュプシピュレーという娘を得ました。子供は、この娘ひとりだったようです。ところでこのミュリーネーにちなんでミュリーナという町が出来たようです。あるいは最初からミュリーナという町が存在していて、トアースがそこの王になったということを、ミュリーネーとの結婚という形で表現したのでかもしれません。そうするとこれからご紹介するお話はミュリーナにまつわるお話ということになります。




(左:女神アプロディーテー


さて、物語の始まりはギリシア神話によくある、神様の言いがかりに近い怒りにありました。愛と美の女神はアプロディーテーローマ神話においてはウェヌス、英語ではヴィーナス)でしたが、この島の女たちはこの女神に対する崇拝儀礼を怠ったために、女神の怒りをかった、というのでした。愛と美の女神は怒り給い、レームノスの女たちに罰を与えました。その罰というのは、女たちの身体から臭い匂いが出てくる、というものでした。これによってレームノスの男たちは自分の妻を相手にすることを止め、新たに対岸のトラーキアに行って女たちを捕えて、この女たちを愛したのでした。これに怒ったのがレームノスの女たちです。ある日、示し合わせて夫たちに対して一斉に蜂起し、夫たちを殺してしまったのです。それが、ものの勢いというものでしょうか、最終的には島の中の男という男を全て殺してしまったのでした(なんということを・・・)。ただし、トアース王の娘ヒュプシピュレーのみは自分の父親を助けています。どうやって助けたかと言いますと、島の守護神であるディオニューソスの神像に、自分の父親を装ったのでした。そして殺害の嵐が収まった翌日に、神像に着いた殺害の汚れを海で清める、という口実を設けてこの神像に見せかけたトアースを海に運び、そこから船に乗せてひそかに逃がした、というのです。


その後、ヒュプシピュレーはレームノスの女王になりました。島には女たちしかいません。子供たちが生まれないので、やがて過疎化が進むことは目に見えています。そのあとに起ったことについては、楠見千鶴子さんの著書「癒しの旅 ギリシアエーゲ海」にある記述を引用させて下さい。女性の目線で書かれていて、レームノスの女性たちの気持ちに添っているように私には思えるからです。以下の文中「リムノス島」とあるのはレームノス島のことです。

そこへたまたま、金羊皮を奪いに黒海へと向かう「アルゴー丸」が、五十人もの選りすぐりの英雄を乗せてリムノス島に立ち寄った。首謀者に若きイアソンを頂き、ヘラクレスオルフェウステセウス、メレアグロスと、輝くばかり美しく屈強な男たちの軍団をみた島の女たちは、衆議一決、英雄をもてなし、子種を得ることにした。


楠見千鶴子著「癒しの旅 ギリシアエーゲ海」の「リムノス島 北エーゲ海の孤島」より

楠見さんは、そのあとこう書いておられます。

世の男性にとり、妻をないがしろにすればいかなる目に遭うか、という教訓。


同上

いやいやこの話はそういう話ではないのでは、と私は言いたくなるのですが・・・・


話を戻します。この話は以前に書いた「テーラ(4):ミニュアイ人たち」や「ミュティレーネー(4):アルゴー号の冒険」につながっていくのでした。