神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

レームノス島(ミュリーナとヘーパイスティア)(2):カベイロイ

レームノス島では、ヘーパイストスと関連してカベイロイに対する信仰もありました。このカベイロイという言葉は複数形であり、単数はカベイロスと言います。ですので、カベイロイはカベイロスたちということになります。カベイロイはヘーパイストスの子ということになっていますが、その姿かたちはよく分かりません。それどころかカベイロイは何人いるのか(神様ですから何柱というべきでしょう)すら、よく分かっていないのです。というのも、カベイロイ信仰は、密儀宗教の形態を取っていたのでした。古代ギリシアにおいて有名な密儀宗教と言えばエレウシースの密儀がありますが、カベイロイの密儀もエレウシースに次ぐほど有力な密儀宗教でした。密儀宗教と言うのは、私はよく理解していないのですが、宗教儀式を入信者以外には秘密にしている宗教である、と理解しています。この秘密は、よく保たれたようで、現代においてはカベイロイの密儀がいったい何だったのかよく分からないままになっている、という訳でした。私は今回、この記事を書くにあたってカベイロイの画像をネットで検索したのですが、信ぴょう性のある画像を見つけることが出来ませんでした。


自分はカベイロイの密儀に参加したことがあるとほのめかしているヘーロドトスによれば、カベイロイは小人たちだったようです。ヘーロドトスは

カベイロイの像もヘパイストスの像によく似ており、カベイロイはヘパイストスの子と伝えられている。


ヘロドトス著 歴史 巻3、37 から 

と書いているのですが、その直前にヘーパイストスの像について

カンビュセスにはペルシア人のみならず同盟国民に対しても、これに類した狂気の行ないが少なくなかったが、メンピスに滞在中古い墓をあばいて死骸を見るなどの行為もあった。同様にまた、ヘパイストスの神殿に入り、その神像をさんざんに嘲笑したりもした。それはヘパイストスの像が、フェニキア人が乗り廻している三段橈船の船首に附けてある「パタイコイ」というフェニキアの神の姿によく似ていたからであるが、「パタイコイ」を見たことのない人のために一言附け加えれば、それは小人の姿の像なのである。


ヘロドトス著 歴史 巻3、37 から 

と書いており、ヘーパイストスの像が小人の像であった、と述べています。ただし、ギリシアでは一般にヘーパイストスは成人男性の姿で表わされており、小人ではありません。ここでのヘーロドトスの記述はエジプトのメンピスにある神殿での話です。エジプトの神々の中にプタハという神がいるのですが、ヘーロドトスはこの神をギリシアヘーパイストスと同一視していました。このプタハの神像が小人の姿であったと説明し、さらに同じくエジプトにあった、ヘーロドトスにはカベイロイだと思える神々の像について「カベイロイの像もヘパイストスの像によく似ており」と説明した訳です。ですので、カベイロイがギリシアで一般的に小人の姿で表わされていたのかどうかについては、あいまいな点が残ります。


このカベイロイの話からは外れますが、上の引用に登場するカンビュセスというのは、ペルシアの国王で、この国王はエジプトを征服したのでした。この国王は、自分が征服した民族を憤激させるような行為が多かった、ということを上の引用は述べています。


カベイロイについて、高津春繁著「ギリシアローマ神話辞典」は以下のように説明しています。

プリュギアの豊饒神。前5世紀以後航海者の保護神とも考えられ、この点から彼らはディオスクーロイと同一視されるにいたった。その祭は秘儀であり、そのためその名を直接に呼ぶことをさけて、ギリシアでは《大神》とも呼ばれた。崇拝の中心はサモトラーケーの島であるが、レームノス島や小アジア、またオルペウス教の影響でボイオーティアのテーバイ市ではカベイロイの年長者と子供の二人の形で崇拝された。神話ではヘーパイストスとカベイロー(またはその子カドミロス)より三人のカベイロイが生れ、その娘たちがカベイリデスであるとも、彼女たちは三人のカベイロイの姉妹であるともいう。カベイロイの数も三、四、七人と諸説があり、さらに四人のばあい、その名はアクシエロス、アクシオケルサー、アクシオケルソス、カドミロスであって、おのおのギリシアデーメーテール、ペルセポネー、ハーデース、ヘルメースであるといわれる。(中略)彼らの系譜や数に関して上記のように一致がないのは、彼らの崇拝が密儀であり、その名もまた秘密であったためと考えられる。


高津春繁著 ギリシアローマ神話辞典 より

非常にいろいろなことを想像させる記述ですが、どんな想像なのかについては、長くなりそうなのでここでは記しません。


このカベイロイについては後世のゲーテが関心を持っていたらしく、彼の「ファイスト:第二部」でカベイロイが登場します。その記述ではまず、小さいけれどもその権能は大きいことが述べられています。また、航海者の保護神であることも述べられています。

(中略)
お連れしたのはカベイロイの神々、どうか称えまつる歌をうたって下さいな。

  • セイレネス

お姿は小さいけれど、お力は大層なもの。難破する者をお助けになり、大昔から崇められていらっしゃる。

カベイロイの神さま方をお連れしました。平和なお祭を祝いましょう。この神々がおごそかに支配なさる所では、ポセイドンの神もおとなしくなります。

  • セイレネス

あなた方の方が私たちより上です。船が難破すると、あなた方は抗いがたい力で、乗組の人たちをお護りになります。


ゲーテ作「ファウスト(二)」 高橋義孝訳 より。ただし、詩行の改行を省略しました。

さらに、カベイロイの数があいまいな点が謎として提示されています。最初カベイロイは4柱であると、述べられます。

三人の神をお連れしました。四人目の方は来ようとなさいません。その神は、自分こそ本当の神で、他の三神に代って裁量すると仰せられます。

  • セイレネス

一人の神さまが別の神さまをお嘲りになるとは。けれどもすべての恵みを敬い、どんな災難も懼(おそ)れましょう。


同上

しかし直後に実はカベイロイは7柱である、と言います。

神は本来七柱なのです。

  • セイレネス

それでは、あとのお三方は。


同上

そしてさらには8柱かもしれないとさえ言います。

それがわかりません。オリュンポスへ行って尋ねてみることです。あすこには、ひょっとすると、まだ誰も考えたこともない八柱目の神もいらっしゃるかもしれない。私たちによくして下さろうとなさっていらっしゃいますが、まだすっかりとは出来上がっていらっしゃらないのです。これら類(たぐ)いない神々は、いつも成長なさりつつあるので、得難いものをお求めになって、憧れ飢え苦しんでおられるのです。


同上

このゲーテの記述がどこまで古代のカベイロイの本性に切り込んでいるか、興味があります。カベイロイはその本性として増殖するものなのでしょうか。


ところで、またカベイロイから話は外れるのですが、ホメーロスによれば睡眠の神ヒュプノスも、なぜかレームノス島に住んでいることになっています。古代ギリシア人の心像風景のなかでレームノス島がそういうふうに捉えられていたのには、何か意味がありそうです。あるいはこれもカベイロイと何か関係があったのかもしれません。

一方、ヘーレーは、つと飛び立って、オリュンポスの嶺を離れると、
ピーエリエーや、景色のよいエーマティエーの上を渡り、
馬を飼うトラーキア人らが 雪をこうむる山々の、それも一番
高い峯を馳ってゆかれる、御み足には地面がけっして 触らなかった。
して、アトースから 波の洶涌(わきた)つ海原へと乗り出されて、
レームノスへお着きになった、神々しいトアース王の都である。
この所で女神は「死」の兄弟の「睡眠(ヒュプノス)」の神にお会いなされて、
まず手を執って握りしめ、その名を呼んで 話しかけるよう、
「睡眠の神(ヒュブノス)さま、すべての神々、また人間どもの司(つか)さともある
あなたは、ほんとに他日(いつか)も頼みを肯(き)いてくれたけど、今度もまた
ぜひお頼みしますよ、そしたら私は いついつまでも有難がるから。
・・・・・」


ホメーロスイーリアス」第14書 から