神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

クノッソス(5): アリアドネー

ともかくも船はクノッソスに到着し、テーセウスとアテーナイの6名の少年たち、アテーナイの7名の少女たちはミーノースに促されて上陸しました。彼らはこのあと監禁され、明日は迷宮に追い込まれることになっていました。迷宮の名前はラビュリントスといいました。ミーノースの娘アリアドネーは宮殿のバルコニーからこの少年少女たちを見て、テーセウスの姿にくぎ付けになりました。彼女は一目ぼれしてしまったのです。そして、あの若さに輝くテーセウスが明日はミーノータウロスの餌食になる運命であることに思い当たると、恐ろしさに身がすくむのでした。何とかしなければならない、と、彼女は思いました。しかしどうやって? 彼女が思いついたのは、あの天才的な工芸家ダイダロスの知恵を借りることでした。ダイダロスは言いました、「その若者に麻糸の玉を渡して、その糸の先端をラビュリントスの入口の扉にくくりつけるように言いなさい。そして、ラビュリントスを奥に進む際に、糸を延ばしながら進むようにとも言いなさい。帰る時にはその糸をたぐれば入口にたどり着けるだろうから。」 アリアドネーはこの方策が確かに役に立つと考え、テーセウスに密かに糸玉を与え、そしてダイダロスの言った方法を教えました。これがいわゆるアリアドネーの糸」という言葉の起こりです。「アリアドネーの糸」というのは、困難な状況において導きとなるものや考えを形容するのに使う言葉です。アリアドネーは糸玉を渡す際にテーセウスに、もしミーノータウロスを倒すことが出来たならば、自分は父親を裏切ってしまったのだから、もうここにいることは出来ない、一緒にアテーナイに連れていってほしい、そして自分を妻にしてほしい、と訴えました。テーセウスはそうしよう、と答えました。


テーセウスには勇気があり、英雄の力を持っていました。彼はラビュリントスの奥に進んで、ミーノータウロスに出逢うと、彼に闘いを挑んで倒しました。闘いを終えると糸をたどってテーセウスは他の少年少女たちと共にラビュリントスの出口に達することが出来ました。彼らは船を奪ってクレータ島を離れることにしました。アリアドネーも彼らに合流しました。




(ミーノータウロスを退治するテーセウス)


テーセウスの一行は、アテーナイに向う途中でナクソス島に上陸しました。ここで何か事件が起きたのですが、何が起きたのかは諸説あってはっきりしません。はっきりしているのは、アリアドネーはアテーナイにたどり着けなかった、ということです。

アリアドネーについてもいろいろの物語が伝えられているが一般の承認を得ているものは一つもない。ある人はアリアドネーがテーセウスに見捨てられて縊死したといい、ある人は船員の手でナクソス島に連れて行かれてディオニューソスの神官オーナロスと一緒に住むようになったのはテーセウスが別の女を慕ってアリアドネーを見捨てたからだと言う。(中略)(アリアドネーに関する)神話の中で最も縁起のいい話は、すべての人がいわば口中に持っている。


プルータルコス著「テーセウス伝」 河野与一訳 より。 (旧漢字、旧かなづかいを改めました。)

「最も縁起のいい話」というのは、ナクソス島ディオニューソス神がやってきてアドリアネーに恋し、彼女をさらってレームノス島に行き、そこで結婚した、そしてゼウスはアリアドネーを神々の一員に迎えた、というものです。

さて、黄金なす髪のディオニュソスは、ミノスの娘
亜麻色の髪をしたアリアドネを咲き匂う妻となさった。
彼女を クロノスの御子(ゼウスのこと)は ディオニュソスのために
不老不死となしたもうた。


ヘーシオドス「神統記」より

ディオニューソスが結婚の贈物として贈った冠は、のちに天に登って「かんむり座」になったといいます。アリアドネーはディオニューソスによって、トアースやオイノピオーンの2人の息子を産みました。トアースはレームノス島の王となり、オイノピオーンはキオス島の王となりました。


ところで一部の学者は、アリアドネーはもともと女神であったとしています。

アリアドネーの名は、むしろ女神の名に相応しい。5世紀の辞典編纂者ヘーシュキオスの記録に従えば、クレータでは、アリアグネーと彼女は呼ばれていた。この名は「いとも尊き(女・女神)」の意味で、この名の女神はエーゲ海の多くの島で知られている。


日本語版ウィキペディアの「アリアドネー」の項より

そうであるならば、ディオニューソスと夫婦であるアリアドネーの姿が本来の姿に近いものなのでしょう。




(右:ディオニューソスアリアドネー)