神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

エペソス(7):イオーニアの反乱


さて、少しの間ヘーラクレイトスから離れてエペソス市そのものに注目していきます。イオーニアの反乱勃発ののちエペソスはどうなったでしょうか。


ミーレートスに集結したイオーニア各都市の軍勢は船でミーレートスを発ち、エペソスにやってきました。なぜエペソスにやってきたかというと、エペソスが交通の要衝で、ここからペルシア帝国を横断する「王の道」という古代の高速道路が、帝国の首都スーサまで走っているからでした。そしてその途中にはイオーニアを支配するペルシアの総督が駐在するサルディス、かつてのリュディア王国の首都であったサルディスがあります。エペソスで上陸した軍勢はそこから、サルディスに向かって進軍しました。その軍を案内したのはエペソス人でした。そして何の抵抗も受けずにサルディスを占領しました。BC498年の出来事でした。

イオニア軍は右のような陣容でエペソスに着くと、エペソス地区のコレッソスに艦船を残して大挙上陸し、エペソス人を道案内として、カユストロス河に沿って進撃した。さらにそこからトロモス山を越えてサルディスに着くや、何の抵抗もうけずにサルディスを占領し、アクロポリス以外の全市を制圧した。アクロポリスは(ペルシアの総督)アルタプレネス自身が、少なからぬ手兵を率いて防備していたのである。


ヘロドトス著「歴史」巻5、100 から


しかしイオーニア軍は占領後、すぐにそこを撤退してしまいました。

 占領後、町の略奪が行われなかったことについては、次のような事情があった。サルディスの人家は大部分が蘆で造られ、煉瓦造りの家もその屋根は蘆葺きであった。それで兵隊の一人が一軒の家に火を附けたところ、火は忽ち家から家へ移り、町全体が猛火に包まれてしまった。町の燃えている中に、リュディア人および町にいたペルシア人はことごとく、四方を火に囲まれ、町の外郭が火に包まれているので町の外へ逃れる退路を立たれて、アゴラとパトロクロス河畔へ集まってきた。(中略)このパトロクロス河岸とアゴラに集まったリュディア人とペルシア人とは、否応なく抵抗せざるを得ない羽目に追い込まれたのである。イオニア軍は、敵が反撃の態勢をとり、また別に有力な部隊が進撃してくるのを見ると、恐れをなしてトモロスと呼ばれる山の方に退却し、さらに夜陰に乗じて船に引き上げた。


ヘロドトス著「歴史」巻5、101 から


その後、反撃に転じたペルシア軍に攻められ、エペソスの戦いが始まります。

さてこの時、ハリュス河以西に居住していたペルシア人は、あらかじめイオニア人の侵攻を聞き知り、集結してリュディア人の救援にかけつけた。しかしサルディスにはすでにイオニア軍の姿を見なかったので、その後を追い、ついにエペソスでこれを捕捉した。イオニア軍はペルシア軍を迎え撃ったが、さんざんに打ち破られ、多数のものがペルシア軍に殺された(中略)。


ヘロドトス著「歴史」巻5、102 から

早くもここでエペソスはペルシアに再占領され、イオーニアの反乱同盟から脱落します。ヘーラクレイトスがおそらく予見していたように、この反乱は最初からあまり勝算のないものでした。民衆は空疎な希望に踊らされて反乱に賛成してしまったのでした。


ペルシアは、追放された僭主を保護していたので、このあとエペソスの元僭主を(残念ながらその名前が分からないのですが)その座に復帰させたと想像します。そしてヘーラクレイトスの友人ヘルモドロスも戻ってきたことでしょう。しかし、ヘーラクレイトスは政治の世界に戻ろうとはしませんでした。「たいていの人間は劣悪である」という思いが身に染みついてしまったのでしょう。彼は人間を、特に大人の人間を相手にする気になれないのでした。ディオゲネス・ラエルティオスは次の逸話を伝えています。

彼は、アルテミスの神域へ引きこもって、子供たちと骰子(さいころ)遊びに興じていたのだが、あるとき、エペソスの人たちが彼を取り巻いて立っていると、「このろくでなし者めが! 何をいったい、お前たちは驚いているのか。お前たちといっしょになって政治のことにかかわるよりは、ここでこうしている方がよっぽどましではないかね」と彼は言ったのだった。


ディオゲネス・ラエルティオス著「ギリシア哲学者列伝」第9巻第1章「ヘラクレイトス」より

その後、彼は自分の探求の成果を本にまとめました。

彼の書物として伝えられているのは、「自然について」という一連の論述から成るものであるが、それは万有についての論説(宇宙論)と、政治論と、神学論との三つの論説に分かれている。
 そして、彼はこの書物をアルテミスの神殿に奉納した(中略)。
彼の書物はたいへん高い評判をえていたので、「ヘラクレイトスの徒」と呼ばれた、彼に由来する一派の人たちも生まれたのである。


ディオゲネス・ラエルティオス著「ギリシア哲学者列伝」第9巻第1章「ヘラクレイトス」より

ヘーラクレイトスの死後のことですが、有名な哲学者ソークラテースのもとに悲劇詩人のエウリーピデースがヘーラクレイトスの本を持ってやってきて、それを手渡し、そののちにその感想を尋ねたことがありました。その時ソークラテースは、
「わたしの理解できたところはすばらしいし、理解できなかったところもそうだろうと思う。ただし、この書物は誰かデーロス島の潜水夫を必要とするね」
と答えたそうです。


それにしても要所要所でアルテミス神殿が登場します。エペソスの人々にとってアルテミス神殿はそれほど重要だったのでしょう。

(アルテミス神殿の復元CG)



さてエペソスは早々とペルシアに再占領されたことで平和の回復も早かったのでした。外では他のイオーニア都市がペルシアと戦っているのに、エペソスでは平和が保たれていました。それで次のような悲喜劇も起きています。
 イオーニアの反乱の終盤で、ミーレートス沖でイオニア海軍とペルシア海軍の決戦が行われた時(ラデーの海戦)のことでした。キオス軍は奮戦したのちに動かなくなった艦船を捨てて陸路退却したのですが、キオスを目指して退却中にエペソス領に入りました。その時、折悪しく、そこではテスモポリアの祭という男子禁制の神事が行われていました。

乗船が損傷のため航行の自由を失ってしまったものたちは、敵の追撃を受けてミュカレ岬目指して逃れ、ここで船を陸に揚げて乗り捨てると、徒歩で陸地を行進していた。このキオス人の一行はやがてエペソス地区に入ったが、そこに着いたのがちょうど夜で、たまたまこの土地の女たちがテスモポリアの祭(女神デメテルの祭。男子禁制)を祝っているところであった。このときエペソスの市民たちは、これらのキオス人がどういう目に遭ったのか、何も聞き知っていなかったので、兵士たちが国内に入ってきたのを見ると、てっきり盗賊が女たちを狙って襲ってきたものと判断し、全市をあげて救援に出動し、キオス人を殺してしまった。


ヘロドトス著「歴史」巻6、16 から

外ではイオーニアの命運を決する海戦が行われていたというのにエペソスの市民はそのことを知らないでいたわけです。