神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

エペソス(8):ヘーラクレイトス(2)

ヘーラクレイトスは「すべてのものを通してすべてのものを操る(万有の理法の)意図を知」ろうと努めたわけですが、その学説はどういうものだったでしょうか。ディオゲネス・ラエルティオスによれば、それは以下のような説明になります。

 ところで、彼の学説は、概略的には、次のようなものであった。すなわち、万物は火から構成されており、そして火へと再び分解されるのである。また、すべてのものは宿命に従って生じるし、また存在するものは反対の道を進むことによって和合するのである。さらに、万物は魂とダイモーン(鬼神)とで充ち満ちている。


ディオゲネス・ラエルティオス著「ギリシア哲学者列伝」第9巻第1章「ヘラクレイトス」より

これではよく分かりません。何となく分かることは「火」が万物の「もと」、すなわち「元素」だと主張していることです。


ディオゲネス・ラエルティオスの本のもう少し先を見ると、もう少し説明がありました。

 火が(万物の)構成要素であり、万物は、火の稀化と濃化によって生じたところの、火の交換物である。――ただし、この点については、彼は少しも明確な説明をしていないのであるが。また、万物は対立によって生じるし、その全体は河のように流れている。さらに、万物は限られており、世界はただ一つあるだけである。そして世界は、全時間にわたって、一定の周期に従いながら、交互に、火から生まれて、また再び火へ帰るのである。そしてこのことは、宿命に従って起るのである。また、相反するもののうち、生成へと導くものは戦いや争いと呼ばれているし、他方、万物が火になる状態へと導くものは和合や平和と呼ばれている。そしてこの変化を、彼は「上り、下りの道」と名づけて、世界はこの変化によって生じるのだとしているのである。


ディオゲネス・ラエルティオス著「ギリシア哲学者列伝」第9巻第1章「ヘラクレイトス」より


火が変化していろいろな物になるようです。そして、対立する物同士の戦いによって物が生成し、和合によって火に戻るようです。そして戦いによる生成の過程を「上りの道」、和合による融解の過程を「下りの道」と名づけたようです。「その全体は河のように流れている」というのは、この宇宙内の物質は絶えず変化しながら、宇宙全体は存続するというありさまを指したものでしょう。「そのことは宿命に従って起るのである」の「宿命」という言葉が理解しづらいですが、これは現代で言えば「物理法則」のようなものを指しているのではないでしょうか?


私は彼が「火」を持ち出してきていることに興味を覚えます。火というのはご存じのように「物質」ではありません。物が分解され酸素と結びつき、その際に光と熱を出す「現象」です。見ていると火というものがあるように見えるのですが、そこで起こっていることは物質の変化の持続です。たえず変化するもののなかから静的な形が現れる、というところに、現代の「動的平衡」に類似した概念を感じます。そのことはヘーラクレイトスが別の例として持ち出す「河」についても言えます。彼は「同じ河(の水)に二度入ることはできない」といいます。川の水はたえず流れ去っているのであって、ある時の川と、その後の別のある時の川では水は異なっているわけです。それにもかかわらず私たちは「河」というものが「ある」と認識するわけです。

そして私たち自身、現代の科学によれば、体内の物質は短期間のうちにたえず入れ替わっており、「私」という、変わらない「もの」があるわけではないのだそうです。ある意味で「私」というものは「火」と似ていると思いました。そう思うと、ヘーラクレイトスの考えていたであろうことを想像して、私はそこに魅力を感じるのでした。


ところで、ヘーラクレイトスの晩年とその死について、ディオゲネス・ラエルティオスは次のように伝えています。

そして最後には、彼は人間嫌いになって、世間から遠のいて山のなかにこもり、草や葉を食糧としながら暮らしていた。しかしまた、そのことのゆえに、彼は水腫症に罹(かか)ったので、町に戻り、そして医者たちに、洪水を旱魃に変えることができるかどうかと、謎をかけるような形で問いかけた。しかし医者たちには、その問いの意味が理解できなかったので、彼は牛舎へ行って牛の糞のなかに身体を埋めて、糞のもつ温もりによって体内の水分が蒸発してくれることを期待した。しかし、そんなふうにしても何の効き目もないまま、彼は六十歳で死んだのである。


ディオゲネス・ラエルティオス著「ギリシア哲学者列伝」第9巻第1章「ヘラクレイトス」より

いくらなんでも、これはないだろうと思います。人間嫌いになったことで、自身も他人から嫌われてしまい、こんな話が出来てしまったのかもしれません。


 彼の生年も没年もはっきりしないのですが、おそらくBC 480年かその数年後に没したと思います。BC 479年にはミュカレーの戦いで、ギリシア軍はイオーニアからペルシア人を駆逐します。そのような変化をヘーラクレイトスが見ることが出来たのかどうか、よく分かりません。あるいはエペソスがペルシアの支配を脱したことを知ったとしても、世を捨てた彼はそれについて関心がなかったのかもしれません。