神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ミュティレーネー(16):デーロス同盟

ミュティレーネーの人々にとってミュカレーの戦いは印象的だったことだと思います。そしてギリシア連合海軍を率いるスパルタ王レオーテュキデースの名前も記憶に残ったのではないかと想像します。


しかし、歴史の流れはこれ以降、スパルタではなく、アテーナイの隆盛・覇権へと向います。それはひとつにはスパルタ政府が「ミュカレーの戦いでペルシアとの戦いは済んだ、もう戦いからは手を引く時だ。」と考えていたのに対し、アテーナイ政府はペルシアをなおも追撃するべきだ、と考えていたからです。

ミュカレーでギリシア勢の総指揮者であったラケダイモーン王*1レオーテュキデースは、ペロポネーソスから従軍していた同盟軍諸兵を率いて故国へ引上げた。だが、アテーナイ人ならびに、当時すでにペルシア王の支配から離脱していたイオーニア、およびヘレースポントス沿岸のギリシア側の同盟諸国の軍勢は、戦線にとどまってペルシア勢のたて籠るセーストスの包囲攻撃をつづけた。そして現地で冬を過し、ペルシア勢が城市から退いたのでこれを占領した。


トゥーキュディデース「戦史 巻1・89」より


上の引用には「イオーニア、およびヘレースポントス沿岸のギリシア側の同盟諸国の軍勢は」とありますが、常にヘレースポントスに関心のあるミュティレーネーもセーストス攻撃に参加しただろうと思います。その1年後スパルタからギリシア同盟軍の総司令官として派遣されたパウサニアース(以前、プラタイアの戦いの時の総司令官だった人です)は態度が傲慢であるとして、同盟軍内には不満が起こりました。そのためスパルタ政府はパウサニアースを呼び戻し、別の将軍を派遣したのですが、もう同盟軍の将軍たちはスパルタ人が指揮をとることを拒否しました。そのためスパルタ政府は、これを機に戦争から手を引くことに決めたのです。そしてアテーナイは同盟の指揮権を手に入れました。

アテーナイ人は、このようにパウサニアースにたいする嫌悪がもとで同盟諸国がアテーナイ側に要請したため、指揮権をうけ継ぎ、その第一段階としてペルシア人追討のために、どの加盟国が軍資金、どの国が軍船を供給するべきかをとりきめた。その表向きの理由は、ペルシア王の領土に破壊行為を加え、報復する、ということであった。そのためにはじめてギリシア同盟財務官というアテーナイ人のための官職が設けられ、この職にある者たちが同盟年賦金を収納することとなった。年賦金というのは、同盟収入のうち貨幣で納入される部分の名称である。(中略)同盟財務局はデーロス島に設置され、加盟諸国の代表会議は同島の神殿において開催されることとなった。


トゥーキュディデース「戦史 巻1・96」より


(上:デーロス島の風景)


これがデーロス同盟というものです。デーロス島に同盟の本部を設けたというのは、アテーナイのよく考えられた戦略だと思います。
デーロス島は神話では、兄妹の神アポローンとアルテミスが生まれたところと言われており、全ギリシアの聖地の一つです。また、イオーニア人の名前の由来となったイオーンという人物は、アポローンと、アテーナイ王エレクテウスの娘クレウーサの息子ということになっており、そのためイオーニア人はアポローンへの崇敬の念が強かったのでした。ですから、デーロス島はイオーニア人には特別に親しい聖地であったわけです。
そういえば、ホメーロス風讃歌の中の「アポローンへの讃歌」には、デーロス島に集って祭典を挙行するイオーニア人の様子が描かれています。

その地には、裳裾ひくイオニア人が、自分たちの子供や貞淑な妻を伴ない集まりつどう。彼らはあなた*2を記念して競技の場を設けては、拳闘に、舞踊に、歌にと、あなたを喜ばせる。
 イオニア人がつどう場にいあわせた者は、この人々を不死なる者、老いを知らない神々に違いない、と言うほどだ。それほどまでに彼らのすべてが美しい。男たちも、帯の美しい女たちも美しく、彼らの足速い船、豊かな品々、これらを目にするならば、心楽しまずにはいられない。


岩波文庫「四つのギリシア神話―「ホメーロス讃歌」より―」の「アポローンへの讃歌」より

このような神話に彩られていれば、イオーニア人の団結も高まりますし、また、アテーナイの野心もデーロス島の神殿群のおごそかさによって、うまく隠されたことでしょう。しかしイオーニア人ではなくアイオリス人に属するミュティレーネーにはこの目くらましの効力は弱かったかもしれません。


さて、ミュティレーネーはデーロス同盟によって軍船を提供することを義務付けられました。その代わり年賦金を支払うことは免除されました。このように年賦金を免除されたのはほかにはキオスサモスなど少数でした。つまり軍船を提供出来るだけの経済的余裕のあるポリスは少なかったのでした。大多数のポリスはデーロス同盟に年賦金を支払ったのです。この年賦金がやがてアテーナイの覇権の源になっていき、デーロス同盟は徐々にアテーナイの支配権と同じものになっていきました。

故国から離れることを嫌った多くの同盟諸国の市民らは、遠征軍に参加するのを躊躇し、賦課された軍船を供給する代りにこれに見合う年賦金の査定をうけて計上された費用を分担した。そのために、かれらが供給する資金を元にアテーナイ人はますます海軍を増強したが、同盟諸国側は、いざアテーナイから離叛しようとしても準備は不足し、戦闘訓練もおこなわれたことのない状態に陥っていた・・・。


トゥーキュディデース「戦史 巻1・99」より

アテーナイ人は同盟諸国が義務を遂行することを杓子定規に要求し、このような重荷を担ったこともなく、また担う意志もない者たちにたいしては苛酷な強制を課し、同盟諸国を苦しめた・・・。(中略)アテーナイ人は盟主として一般的にいちじるしく不評判となってきていた。かれらは同盟軍を率いて遠征するときにも特権を行使するようになったので、ますます容易に同盟離叛国に強圧を加えることができるようになった。


トゥーキュディデース「戦史 巻1・99」より

デーロス同盟を離脱しようとするポリスは同盟軍によって鎮圧され、アテーナイの属国に落とされました。このようなことはデーロス同盟が発足したBC 478年から50年の間に徐々に進行していったのでした。その中でミュティレーネーはなんとか独立を保っていました。

*1:スパルタ王に同じ

*2:アポローン