神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ナクソス(4):アリアドネー(1)

ギリシア神話の世界ではナクソスは、テーセウスがアリアドネーを置き去りにしたところとして、また、そのアリアドネーがディオニューソス神と出会って神の后となったところとして有名です。

(イーヴリン・ド・モーガン作「ナクソスアリアドネー」1877年)


しかし、この物語の筋書きは混乱していてはっきりしません。アテーナイの代表的な英雄テーセウスが、自分の苦境を助けた恩人であり自分の妻になるはずのアリアドネーをナクソス島に置き去りにしたのはなぜか、そんな忘恩の行為をするとは、アテーナイ人の尊崇を集めるテーセウスには似つかわしくない振舞いではないか、などいろいろ疑問がわきます。AD 1世紀の著作家プルータルコスも

アリアドネーについてもいろいろの物語が伝えられているが一般の承認を得ているものは一つもない。


プルータルコス著「テーセウス伝」 河野与一訳 より。 (旧漢字、旧かなづかいを改めました。)

と書いています。これがどういう物語であったか、ナクソスの場面に至るまでのことを含めて手短にご紹介します。


テーセウスはアテーナイの王子でした。この頃アテーナイはクレータ島のクノーソスに戦争で負けていて、九年目ごとにみつぎ物として若い男性7名若い女性7名をクノーソスに送らなければなりませんでした。その若者たちを待ち受けているのはいろいろ説があるのですが、一番恐ろしい話ではクノーソスにある迷宮の中に住んでいる牛頭人身の怪物ミーノータウロスの餌にされる、というものです。また、一度迷宮に入った者は道が分からなくなり、二度とそこから出られなかった、ともいいます。この頃若かったテーセウスは自分と同年代の若者たちの非運に心を動かされ、ミーノータウロスを退治するために志願してその若者たちの中に入れてもらったのでした。もちろんアテーナイ王アイゲウスは息子の決心を翻そうとしましたが、彼の決心は変わりませんでした。あとの若者たちは籤で選ばれました。


なぜ迷宮があったのか、なぜミーノータウロスという怪物がそこに住んでいたのか、についてもお話はあるのですが、今は省略します。なお、若者たちは武器を身に帯びてはいけないという取り決めになっておりました。


さて、クノーソス王ミーノースには娘のアリアドネーがいましたが、彼女はアテーナイからやってきた若者たちの中にいるテーセウスを一目見て、恋に落ちました。何とかしてあの若者を助けたい、と彼女は思いました。そこでアリアドネーは迷宮を建設した技術者のダイダロスから迷宮から出られる方法を聞き出しました。ダイダロスは言いました、その若者に糸玉を渡して、その糸の先端を迷宮の入口の扉にくくりつけ、迷宮を奥に進む際に、糸を延ばしならが進むように言いなさい、帰る時にはその糸をたぐれば入口にたどり着ける、と。そこでアリアドネーはテーセウスに密かに糸玉と短剣を渡したのでした。


テーセウスは勇気もあり力も強かったので、ミーノータウロスを倒すことが出来ました。そしてアリアドネーから渡された糸のおかげでテーセウスと男女の若者たちは迷宮を脱出することが出来ました。テーセウスは一緒に来た若者たちとクレータ島を離れアテーナイに戻ることにしましたが、その際にアリアドネーを一緒に連れていくことにしました。アテーナイに着いたら結婚しようとアリアドネーに約束しました。




(ミーノータウロスを退治するテーセウス)


こうしてクレータ島を離れたテーセウス一行でしたが、アテーナイに向う途中でナクソス島に上陸しました。事件はここで起こったわけです。しかし、それが何だったのかさまざまな説があり、はっきりしません。

アリアドネーについてもいろいろの物語が伝えられているが一般の承認を得ているものは一つもない。ある人はアリアドネーがテーセウスに見捨てられて縊死したといい、ある人は船員の手でナクソス島に連れて行かれてディオニューソスの神官オーナロスと一緒に住むようになったのはテーセウスが別の女を慕ってアリアドネーを見捨てたからだと言う。(中略)またある人はアリアドネーがテーセウスの子オイノピオーンとスタフュロスを生んだという。(中略)(アリアドネーに関する)神話の中で最も縁起のいい話は、すべての人がいわば口中に持っている。


プルータルコス著「テーセウス伝」 河野与一訳 より。 (旧漢字、旧かなづかいを改めました。)

プルータルコスはそう書きながら「すべての人がいわば口中に持っている」「最も縁起のいい話」については記述していません。当時の人は誰でも知っているので記述するまでもない、と思ったのでしょう。その最も縁起のいい話というのは、ナクソス島にディオニューソス神がやってきてアドリアネーに恋し、彼女をさらってレームノス島に行き結婚した、というものです。ディオニューソスが結婚の贈物として贈った冠は、のちに天に登って「かんむり座」になったといいます。



(左:かんむり座)


アリアドネーはディオニューソスとの間に息子トアースやオイノピオーンを産みました。トアースについては「レームノス島(ミュリーナとヘーパイスティア)(3):トアース」を、オイノピオーンについては「キオス(2):オーリーオーン」を参照下さい。そしてアリアドネーは神々の一員に迎えられたのでした。

さて、黄金なす髪のディオニュソスは、ミノスの娘
亜麻色の髪をしたアリアドネを咲き匂う妻となさった。
彼女を クロノスの御子(ゼウスのこと)は ディオニュソスのために
不老不死となしたもうた。


ヘーシオドス「神統記」より