神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ナクソス(5):アリアドネー(2)

前回はアリアドネーが神になる、という結末で話を終えました。ところがこの伝説の元々の姿は随分違うようです。古い伝説を伝えるホメーロスの「オデュッセイアー」では以下のように述べられています。

またパイドレーやプロクリスや、姿(なり)きよらかなアリアドネーにも
会ったのでした、これはよからぬ意図をもつミーノースの息女とて、テーセウスが
もとクレーテー島から、神聖なアテーナイ市の丘の高みへ連れていこうと
いながらも果たさなかった、着く前にアルテミスさまが、波のとりまく
ディエーの島で、ディオニューソスが照覧のもとにお討ちということ。


ホメーロスオデュッセイアー」第11書 呉茂一訳 より


(女神アルテミス)


狩猟の女神アルテミスがアリアドネーを殺したというのです。おそらく得意の弓矢で射殺したのでしょう。「ディエーの島」というのはナクソス島の古い名前だそうです。この文章からは、テーセウスはアリアドネーをアテーナイに連れて行きたかったけれど、女神アルテミスによって殺されたので、連れていくことが出来なかった、というふうにも読めます。つまりは置き去りにしたわけではない、とも読めます。ではいったい何があってアリアドネーは殺されなければならなかったのでしょう。しかも上の記述によれば、それはディスニューソスの承認のもとで行われた、ということです。ディオニューソスと結婚して自身も不老不死になるのと、ディオニューソスの承認の元、殺されてしまうのとでは、天地の開きがあります。いったいいかなる事情があったのか、謎は深まるばかりです。「オデュッセイアー」にはアリアドネーについてはこれ以外に記述がないので、これ以上の情報を得ることが出来ません。


現代の一部の学者は、アリアドネーはもともと女神であったと主張しています。英語版Wikipedaの「アリアドネー」の項には、神話学者カール・ケレーニーの説として、アリアドネーという名前は添え名であって、本当の名前は線文字Bの粘土板に登場する「迷宮の女神」である、という説が紹介されています。そうすると、彼女はミーノータウロスが住んでいた迷宮そのものだったのでしょうか? ミーノータウロスがテーセウスによって退治されることと、アリアドネーがアルテミスによって射られることは、同一の事態を表していたのでしょうか? どのように考えても、私は納得出来るような解釈を見つけられません。それでこのことが、ずっと心にひっかかっています。




(右:銀貨に描かれた迷宮の絵。クノーソス出土)


プルータルコスが書いていますが、ナクソスでは次のような「アリアドネー2人説」も存在したということです。これもアリアドネーの伝説を何とか理解可能なものにしたい、という努力の表れでしょう。

ナクソス島のある人々は固有の伝統を信じてミーノースが二人アリアドネーが二人いたと説いている。一人のアリアドネーはナクソスディオニューソスと婚してスタフュロスとその兄弟を生んだ。もう一人の若い方はテーセウスに誘拐され後で見捨てられてからナクソス島へ来た。その時一緒に来た乳母はコルキュネーという名でその墓が今でも見られる。アリアドネーもそこで死んだが人々の示す尊敬のしるしは前のアリアドネーと趣きを異にする。前のほうの祭には人々が喜んで楽しい催しをする。若いほうの祭にはどこか悲しみと悼みが混ざっている。


プルータルコス著「テーセウス伝」 河野与一訳 より。 (旧漢字、旧かなづかいを改めました。)

この解釈では、最初のアリアドネーは女神であり、2番目のアリアドネーは人間なのでしょう。