神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ナクソス(3):イーピメデイア

ナクソスから話が離れてしまいますが、アローアダイが神々に対して挑戦した物語は、現存するギリシア文学の中で一番目か二番目かに古い「オデュッセイアー」の中でも登場するので、ご紹介します。これは主人公のオデュッセウスが冥界巡りをした時に、当時より過去の時代に地上に生きた神話上名高い女性たちに出会った場面の一部です。

 その次にはアローエウスの奥方、イーピメデイアの姿を見ました。
この婦人はしんじつポセイダーオーンに添寝をしたと申すことで、
それで儲けた二人の息子が、まあ寿命はほんの短い間(ま)ながら、
神にもひとしいオートスと、遠国にも名を知られたエピアルテースで、
この二人をまったく、とてつもない背の高さに、麦をみのらす畑土が
育て上げました、それに比類ないほど美(よ)い男に。音に聞くオーリーオーンは
まあ別格として。つまりまだ九歳というのに、肩幅は九尺あまり、
背の高さは九つ尋(ひろ)まで育っていって、ついにはいかさま、
オリュンポスにおいでなさる不死の神らに対してまで、阿鼻叫喚の
恐ろしい戦いの大騒動を、ひきおこそうと迫ったものです、
それにはオッサの山をオリュンポスの上へ積み上げ、そのまたオッサの
上へまた森蔭ゆらぐペーリオンを載せ、天まで上がる積りでしたが、
多分はそれも為(し)おおせたことでしたろう、もし成年の域に達しましたら。
ところがどっこい、ゼウスの御子息、お髪(ぐし)もみごとなレートーさまの
お産みの方が両名ともを、まだ顳顬(こめかみ)下に顎ひげが生え、
あごいっぱい柔毛が萌えて来ぬうちに、うち滅ぼしたというわけです。


ホメーロスオデュッセイアー」第11書 呉茂一訳 より


実は、アローアダイの母である、このイーピメデイアがかつては女神だったという説があります。この説は、ギリシアの先史時代、BC 1200年頃に使われていた線文字Bという文字を解読した結果を根拠にしています。

(上:線文字B

次の節には、「Pe-re-swa, イペメデイア(Iphemedeia)、デュウヤ(Diwya)の聖域」と記されており、いずれも奉納を受けている。すなわち、イペメデイアは黄金の器一個のみを、他の二神は黄金の器一個と女一人をそれぞれ受領したとある。・・・・
イペメデイアの方は、通俗語源説により「力によって(iphi)治める女」と解釈されたためか、綴りがわずかに異なるイピメデイアという語形でホメーロスに登場し(『オデュッセイア』11・305)、ポセイドーンとの間に二人の息子をもうけた伝説上の人物として知られているが、彼女がピュロスでは女神として崇拝されていたとは実に驚くべきことである。


チャドウィック「ミュケーナイ世界」より


この文書(粘土板)はギリシア本土のペロポネーソス半島に位置するピュロスで発掘されたのでした。

イーピメデイアがピュロスで崇拝されていたのですから、アローアダイの物語は安心してギリシア起源の物語だと言える、と私は一旦は思いました。ところがその後、以下のような記事を見つけてしまい、またしても分からなくなりました。

 しかし古い伝では、彼らは大地の子と呼ばれており、その母といわれるイーピメデイアは実は大地女神の別号(力強く統治する女性)であろうかと推察される。それゆえこのアローアダイは「大地の子たち」の古い別号(ギリシア語、たぶん外来語、のaloeは、段畠、平地)で、ギリシア人の移住前に小アジア西部地方(たとえばカーリアのミュラサではイーピメデイアを祭る)で崇拝されていた神々の名残りかも知れない。


呉茂一著「ギリシア神話 上」より

カーリア(アナトリア半島の南西部にあたります。カーリア人が住んでいました)でイーピメデイアが崇拝されていた、ということと、ナクソスの名前が、あるカーリア人の名前に由来する、という伝説が私には何か符合しているようにも思えてきました。それに、ここでは詳しく書きませんが、アローアダイの身長がどんどん伸びていって、やがて神々に挑戦するようになる、という物語はヒッタイトの神話に登場するウルリクムミの物語に似ていることにも気付きました。私の意見ではカーリア人とヒッタイト人は民族的に近い(どちらも、印欧語アナトリア語派に属する言語を話していた)ので、アローアダイの物語の起源もカーリアにあるのかな、と思ったりもしています。


そうすると、アローアダイがナクソスに来てそこの支配者になった、という物語を以って、ギリシア人のナクソス島到来の伝説とするわけにもいかないようです。