神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

テーラ(8):アクロティリ


このテーラに関する物語の最初で昔テーラが大きな島であって、それが火山の大爆発によって今の形になったという話を紹介しました。この大爆発の時にまだテーラにはギリシア人は来ていませんでした。その爆発は最近の説ではBC 1628年に起こったと推定されています。こんなに正確な年代が推定出来るのは当時の樹木の年輪を調査した結果です。
この大噴火で埋もれた都市があることが1967年からの発掘で分かりました。それがアクロティリ遺跡です。この遺跡は、いわば先史時代のポンペイとでも言うべきもので、ポンペイと同じように火山の噴火によって埋まってしまった都市の遺跡です。ただし、その年代はポンペイより1600年以上前です。



大きな町のうちの南の端が発掘されただけなのですが、そこには3600年前のものとは思えないような、2階建て3階建ての建物や、8mぐらいの高さの壁に囲まれた四角い広場が現れました。



多くの家では石の階段は無傷のままで、それらの家では巨大な陶器製の貯蔵用がめやひき臼や陶器類がありました。また、町には非常に発達した給水と排水のシステムがありました。給水システムは2系統になっており、おそらく温水と冷水に分かれていたと推定されています。温水のほうは火山による温泉が近くにあってそこから引かれたのでしょう。



発掘された中で注目すべきは、美しい壁画の数々です。それらはここの住民の美的センスが高いものであったことを示しています。



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ギリシア人より前に住んでいた彼らがどんな人たちだったのか、非常に興味があります。遺跡からは線文字Aと今日呼ばれている文字を書いた粘土板も発見されたのですが、残念ながら線文字Aは今も未解読のままです。線文字Aは主にクレータ島のミノア文明で使用されていた文字なので、この頃のテーラがミノア文明の影響下にあったことは確かです。しかし、ミノア文明の担い手(今日では便宜上ミノア人と呼んでいますが)がどの系統の民族だったのかまだ定説がありません。さらにテーラの住民がミノア人だったのかどうかもはっきりしません。



アクロティリで発見された粘土板に刻まれた線文字A