神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

テーラ(9):最終回:アトランティス?


この頃のテーラについて、ギリシア側の伝承は何かないのでしょうか? まず思いつくのはヘーロドトスが記している以下の記事です。

現在テラと呼ばれている島は、以前はカリステと呼ばれていたがこれは同じ島で、当時はフェニキア人ポイキレスの子メンブリアロスの子孫が居住していた。すなわちアゲノルの子カドモスはエウロペの所在を探し求めながら、現在のテラに上陸したが、上陸後この地が気に入ったのか、あるいは他の理由があってそうしたのか、この島にフェニキア人を残していった。その中には自分の同族の一人メンブリアロスもいたのである。


ヘロドトス著「歴史」巻4、147 から

この記事から考えると、ギリシア人の到来以前にテーラに住んでいたのはフェニキア人のようです。これを支持する記述をトゥーキュディデースもしています。ギリシア人がエーゲ海に進出する以前は、エーゲ海の島々にいたのはカーリア人かフェニキア人(下記の文中では「ポイニキア人」)だったと、その記事は言います。

当時島嶼にいた住民は殆どカーリア人ないしはポイニキア人であり、かれらもまたさかんに海賊行為を働いていた。これを示す証拠がある。今次大戦(注:これはペロポネーソス戦争のこと)中にデーロス島がアテーナイ人の手で清められ、島で死んだ人間の墓地がことごとく取除けられたとき判明したところでは、その半数以上がカーリア人の墓であった。これは遺体と共に埋められていた武器や、今日なおカーリア人がおこなっている埋葬形式から判った。


トゥーキュディデース著「戦史」巻1、8 から

特にデーロス島ではカーリア人が住んでいたと上の記事は述べています。テーラではカーリア人が住んでいたのでしょうか、それともフェニキア人が住んでいたのでしょうか? それとも両者とは異なる別の民族が住んでいたのでしょうか?


これとは別に、先史時代のテーラの大爆発の事実が1960年代に明らかになると、これをアトランティス大陸の伝説に結び付ける人々が現れました。当初はこの爆発によってクレータ島のミノア文明が滅亡したと考えられていました。そしてそのことがアトランティス大陸の伝説になったと考えられました。しかし、その後の放射性炭素年代測定によってテーラの大爆発がミノア文明の最盛期より以前に位置付けられたことにより、この学説は支持を失っていきました。それでもテーラの文明がアトランティスの伝説に影響を与えたのではないか、と考える人々がいます。私は、前回の「テーラ(8):アクロティリ」でご紹介した「給水システムは2系統になっており、おそらく温水と冷水に分かれていた」というところにアトランティスとの関係を想像してみたくなります。



そもそもアトランティスの話は、哲学者のプラトーンが初めて書き表したのでした。プラトーンの著作「クリティアス」には温水と冷水の供給システムを記したと思われる記述が出てきます。最初の記述はアトランティスの首都を太古に海神ポセイドーンが創造した様子を記述したものです。

ポセイドンご自身が、例によって神のなさるやり方で、容易に中央の島を整えられた。地下から、いっぽうは温水を出し、他方は冷水を出す二つの泉をおつくりになったり、大地からは、ありとあらゆる種類の食物をふんだんに生み出されたのである。


プラトン「クリティアス」より

もうひとつは、アトランティスの住民がその2つの泉をどのように利用したか、についての記述です。

彼らが利用した泉は、冷水を出す種類と温水を出す種類とがあったが、水量は豊富で、どちらもすばらしく利用に適していた。その水は味にくせがなく、しかもきわめて良質だったからである。これらの泉の周囲に、かれらは建物をたて、その水になじむような木を植えた。その上、まわりに貯水場を設けて、あるものは露天のもとに、またあるものは冬期の温水浴用に屋内に設備を整えて利用した。かれらは、浴場を、王のためのもの、市民の私的な利用のためのもの、さらに他にも婦人用、馬やその他、荷物運搬の家畜用などに分け、それぞれに適した方法で装備を設けていた。外に流れ出た水を、かれらはポセイドンの聖なる森に導いた。そこでは、その土壌の肥沃さのおかげで、見事な美しさと高さに育つあらゆる種類の木がみられたのである。


プラトン「クリティアス」より

あるいは、これらの記述の幾分なりかはかつてのテーラのアクロティリ遺跡の往事の光景に由来しているのかもしれません。私のテーラに関する物語は、アトランティスとのかすかな関連が見えてきたこのところで終えることにします。(ここをつきつめていくと随分あやしげな話も取り上げることになりそうですので、ここで退散するのがよさそうです。) ありがとうございました。