神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ミーレートス(14):イオーニア文化の拡散

ミーレートス:目次へ  ・前へ  ・次へ
サルディスの陥落があり、その後のペルシア王国によるイオーニア地方平定において2つの町の住民だけが祖国を離れました。テオースの町では全市民が船に乗り込み、海路トラーキア(現在のギリシア北東部)に向い、そこにアブデーラという町を建てました。ヘーロドトスによればこの町は以前にもテオースの近くのクラゾメナイの住民によって植民されたことがあったのですが、トラーキアの原住民の襲撃にあい、町は放棄されたそうです。今回、テオース人によってその町を再興させたかたちになります。
アブデーラの位置を地図で示しますと、もう、地図のぎりぎりのところになります。

また、ポーカイアの場合は逃げたのは市民の半数以下でしたが、もっと遠くに逃げました。ポーカイア人ギリシア人の中では遠洋航海の先駆者であるだけあって、なんとコルシカ島まで逃げていきました。それは、この時よりさかのぼること20年前にポーカイア人コルシカ島に建設したアラリアという町があったからです。しかし今回の避難民が入植してから5年目にエトルリア人カルタゴ人との連合軍とアラリアとの間に戦争が起り、かろうじてそれに勝利したもののあまりに勝利の代償が大きかったので、アラリアを放棄して、イタリア半島の南端のレギオン(今のレッジョ)に移動しました。そしてそこを根拠地としてエレア(イタリアのヴェーリア)の町を建設しました。


さて、タレースが死んだのはこの頃のようです。ひょっとしてペルシアによるイオーニア平定の動乱に巻き込まれてのことなのか、と私は最初思いました。あるいは、自分の建言が受け入れられず、そのためにイオーニアの町々がペルシアに征服されていくのを見て悲しみのあまりに生きる気力をなくしたのか、とも思いました。しかし、そのようなことをうかがわせるような記述を私は見つけることが出来ませんでした。ディオゲネス・ラエルティオスの「哲学者列伝」


の「アナクシメネス」の項にはタレースの孫弟子だったアナクシメネースの手紙が収録されています。その手紙によると、タレースは星の観測をしている時に誤って崖から落ちて死んだ、ということになっています。とはいってもディオゲネス・ラエルティオスの「哲学者列伝」の中の手紙は信用がおけないものが多いそうなので、おそらくこの手紙も偽作だと思います。ちょっと気になるのは、タレースの弟子だったアナクシマンドロスタレースより14歳ぐらい若かったのですが、彼もタレースと同じ頃に亡くなっていることです。師匠と弟子が同じ頃に亡くなるとは何かあったのでしょうか。


それはともかく、このようにミーレートスにはタレースを始めとして、アナクシマンドロス、アナクシメネースと続く学派、世に言うミーレートス学派が成立していました。


また、上の話に登場したアブデーラにはやがて「人間は万物の尺度である」と唱えるプロタゴラスや、原子論を唱えたデモクリトスが登場します。また、エレアには独特の存在論を提唱したパルメニデスや「アキレスは亀に追いつかない」というゼノンのパラドックスで有名なゼノンが登場します。確証はないのですが、タレースを生んだようなイオーニアの知的な環境がサルディスの陥落という大事件の余波として各地に広まっていったのではないか、と想像します。ギリシアの知的な夜明けを感じさせます。

 

 

ミーレートス:目次へ  ・前へ  ・次へ