神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ミーレートス(15):ヒスティアイオスの登場

-ミーレートス:目次へ  ・前へ  ・次へ
ミーレートス(9):トラシュブロス後」で述べましたように、ミーレートスは2世代(おそらく60年)に渡る内紛の後にパロス島の住民によって一種の財産政(財産の多い者が政権を握る政治制度)が成立したのではないか、というのが私の推測でした。しかし、遅くともBC513年にはミーレートスはまたしても僭主の支配下にありました。僭主の名前はヒスティアイオスといいます。彼がどのような経緯で政権を握ったのかよく分かりません。これについてヒントになりそうな記事を今回、アリストテレースの「政治学」に見つけました。

しかし僭主たちは以前は今日よりも多く出るのが常であったが、それはまた幾人かの人々の手に重要な役が委ねられたためでもある。例えばミレトスにおいてプリュタニスの役から僭主が出たようなものである、というのはプリュタニスは多くのそして重要なことを支配する権力をもっていたからである。


アリストテレス 政治学 第5巻 第5章

 この「僭主」という言葉がヒスティアイオスを指しているのか、あるいは別の誰か、たとえばトラシュブロスを指しているのか分かりません。仮にヒスティアイオスだとすると、彼は以前、プリュタニスという役職についていて、そこで大きな権限を持っていたのではないかと想像します。また、別のヒントとしてヒスティアイオスが他のギリシア人僭主たちに述べた

自分たちがそれぞれ自国の独裁権を握っておられるのは(ペルシア王)ダレイオスのお陰である、ダレイオスの勢力が失墜すれば、自分もミレトスを支配することができなくなるであろうし、他の者たちも一人としてその地位を保つことはできまい。どの町も独裁制より民主制を望むに相違ないからだ。


ヘロドトス著「歴史」巻4、137 から

 という言葉があります。ここからヒスティアイオスはプリュタニスという役職についていてミーレートスの対ペルシア交渉を担当しているうちに、ペルシア王と結託して、ペルシア王の力を背景にして一種のクーデタを起してミーレートスの僭主になったのではないか、と思います。


さて、その間にペルシアでは初代のキューロスが死に、2代目がカンビュセースの治世を経て、3代目のダーレイオス1世の治世になっていました。ペルシアはバビロニアとエジプトを征服し巨大な帝国に成長していました。イオーニアを始めとするペルシア支配下ギリシア人の町には多くの僭主がおり、それらはダーレイオスの支援を受けていました。その代わりこれらの町はペルシアの軍事行動に兵を提供しなければなりませんでした。さてBC513年のこと、ダーレイオスはスキュティア(現在のウクライナ南部)へ攻め込みました。その軍の中にはミーレートスの僭主ヒスティアイオスとその配下の兵たちもいました。

バビロンの占領後、ダレイオスは自らスキュタイ人遠征に向った。今やアジアは人口も豊かに、国庫に集まる収入は莫大な額に上ったので、ダレイオスはスキュタイ人に報復を思い立ったのである。それというのも先に侵害したのはスキュタイの方で、彼らはペルシア人の進攻以前にメディアに進入し、抵抗するメディア人を撃破したことがあったからである。


ヘロドトス著「歴史」巻4、1 から

 そのころ、ペルシアはメディアの支配下にあり、そのメディアを征服したのがペルシアなのですから、ペルシアの王ダーレイオスがスキュタイに報復を唱えるのは言いがかりなのですが・・・・。

 

 

-ミーレートス:目次へ  ・前へ  ・次へ