神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

デーロス島(9):ギリシア海軍のデーロス島集結

さて、ダーレイオス王の息子で次代のペルシア王になったクセルクセースはBC 481年、2度目のギリシア侵攻を実行します。今度は前回よりも大規模な軍勢で、海岸沿いの陸を進む陸軍と、海岸沿いの海を進む海軍の2段仕立でした。今回は軍勢が大陸の海岸沿いを伝ってきたため、デーロス島近くにはペルシア軍はやってきませんでした。
翌BC 480年、ペルシア軍はアテーナイ近くで行われた海戦(サラミースの海戦)で惨敗します。惨敗に慌てふためいたクセルクセース王は早々にギリシア本土をあとにしてペルシアに撤退します。彼はペルシアの将軍マルドニオスにあとを託します。マルドニオスとその軍勢は、再度のアテーナイ侵攻を実行するために、ギリシア北部のテッサリアで冬を越しました。古代のこの地方では冬は戦争をしないことになっていたのです。

 ギリシア方にあっても、春の到来とマルドニオスがテッサリアにあることによって、その活動はふたたび活発となった。陸上部隊はまだ集結していなかったが、水軍は総勢百十隻の船がすでにアイギナに到着していた。水軍の総指揮に当ったのは(注:スパルタ王)レオテュキデスで(中略)。
 全艦船がアイギナに到着した頃、イオニアからの使節の一行がギリシア陣営にきた。彼らは(中略)ギリシア人のイオニア出兵を懇願するために(中略)アイギナにきたわけである。しかし彼らはギリシア軍をデロスまで連れ出すのがやっとのことであった。それより先は地理に不馴れのため、ギリシア軍にとってはなにもかも恐ろしく、いたるところに敵兵が充満しているような気がしたのである。(中略)こうして符節を合せたように、ペルシア軍は恐れをなしてサモスより西方に船を進める勇気はなく、一方ギリシア軍もキオス人たちの懇請にもかかわらず、デロスより東方へは敢えて進もうとしなかった。要するに恐怖感が両軍の中間地帯の安全を確保したのである。


ヘロドトス著「歴史」巻8、132 から

ギリシア連合軍側はペルシア軍を恐れてデーロス島より東に艦隊を進めることが出来ずにいました。そうこうしているうちに、デーロス島ギリシア海軍の許に3名のサモス人がひそかに訪れて、スパルタ王レオーテュキデースに、サモスに来航してペルシアと戦って欲しい、と要請しました。

 スパルタ人レオテュキデスに率いられたギリシア水軍が、デロスに来航してここに停泊しているとき、サモスからトラシュクレスの子ランボン、アルケストラティデスの子アテナゴラス、アリスタゴラスの子ヘゲシストラトスの三人が使者としてギリシア軍を訪れた。この三人は、ペルシア軍およびペルシア方がサモスの独裁者として擁立したアンドロダマスの子テオメストルには内密にして、サモス人が派遣したものであった。彼らはギリシア軍の指揮官たちに面接すると、ヘゲシストラトスがさまざまなことを長々と述べたてた。すなわち、イオニア人たちはギリシア軍の姿を見ただけで、ペルシアから離反するであろうし、ペルシア軍はとうていこれに抵抗できぬであろう。かりに抵抗するとすれば、ギリシア軍にとってこれほどの好餌はまたと得られぬであろう。そしてヘゲシストラトスは彼らが共通に尊崇している神々の名を呼び、同じギリシア人である自分たちを隷属の状態から救い出し、ペルシア人を撃退してほしい、とギリシア軍の指揮官たちを促した。彼がいうには、ギリシア軍にとってそれはた易いことである。なぜならペルシア軍の艦船は性能が悪く、とうていギリシア軍の敵ではないから、というのであった。そして自分たちとしては、もしギリシア方を罠にかけるのではないかとの疑惑をもたれるならば、人質として船に載せられてゆく覚悟もできている、といった。
 サモスからきたこの男が必死に嘆願したところ、レオテュキデスは――相手の言葉によって先のことを占うつもりであったのか、あるいはたまたま神がそのように仕向けられたのか――
サモスから来られたお人よ、そなたの名はなんといわれる」
と訊ねた。相手がヘゲシストラトスであると答えると、レオテュキデスは彼がさらに言葉を続けようとするのを遮っていうには、
「そなたの名をよい前兆として受け取ることにしよう。サモスのお人よ。そなたもそなたに同行の諸君も、サモス人は熱意をもってわれわれに協力し敵に当ると信義を誓った上、引き上げるようにしてもらいたい。」


ヘロドトス著「歴史」巻9、90、91 から

スパルタ王レオーテュキデースが「そなたの名をよい前兆として受け取ることにしよう」と言ったのは、ヘゲシストラトスという名前が「軍を案内する者」という意味だったからでした。そこでレオーテュキデースが艦船をサモスに進めると、ペルシア側はかなわぬと判断してサモスの対岸にある小アジアのミュカレーまで撤退しました。これを機にギリシア側はミュカレーに上陸し、ペルシア軍に襲い掛かりました。すると今までペルシア側についていたギリシアの諸都市はヘゲシストラトスの言った通り、ペルシアに対して反乱しました。その結果、ギリシア側はペルシア軍をやぶることが出来ました。


それにしてもこの物語では、デーロス島は単に場所としてしか登場しません。デーロスの住民が何をしたのか伝わっていないのです。ここがデーロス島の物語を述べる際のつらいところです。