神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

メガラ(2):レレゲス人

ここでレレゲス人について少し調べてみました。レレゲス人についての一番古い言及はホメーロスの「イーリアス」によるもので、以下のような記述があります。なお、イーリアストロイア戦争の物語です。

まず海の方には、カーレスの勢に、彎(まが)った弓をもつパイオーネス、
それからレレゲスにカウコーネスに、気高いペラスゴイ勢が居りまする、


ホメーロスイーリアス」第10書 呉茂一訳 より(430行あたり)

これはドローンという人物がギリシア側の捕虜になり、ギリシア側の尋問に応じてトロイア側の兵力について答える場面です。ここで「カーレスの勢」というのはカーリア人の軍勢のことを意味しています。この引用からは、ホメーロスはレレゲス人を、カーリア人ともペラスゴイ人とも異なる民族であると考えていることが分かります。しかし、BC 5世紀の歴史家ヘーロドトスは、レレゲス人をカーリア人の昔の名前だとしています。

右の民族の内カリア人は、島から大陸に渡ってきたものである。というのは、古くはミノス王(クレタの王)の支配下にあってレレゲス人と呼ばれ島に住んでいたのである。しかし彼らは、私が口碑を頼りにできるだけ過去に遡ってみた限りでも、貢物なるものは一切納めず、ミノス王の要求があれば、その度ごとに船の乗員を供給したものであった。ミノスは広大な地域を制圧し戦争では常勝の勢いであったから、カリア民族もこの時期においては、あらゆる民族の内で最もその名が轟いていたのである。
(中略)
 その後ずっとたってから、ドーリス人とイオニア人とが彼らを島から逐い、かくして大陸へ移ってきたのであった。


ヘロドトス「歴史」巻1・171 より

この記事には、レレゲス人がエーゲ海の島々にかつて住んでいた、ということが書かれています。これについては歴史家トゥーキュディデースが、往古エーゲ海の島々にいた住民はほとんどカーリア人かフェニキア人であった(「戦史」1.8)と述べていることを思い出します。トゥーキュディデースはレレゲス人の名前を出していませんが、ヘーロドトスがレレゲス人とカーリア人を同一視しているので(正確に言えば、ヘーロドトスはこの所伝をクレータ人から聞いたと書いています)、二人の歴史家はエーゲ海の島々にかつてカーリア人が住んでいた、という点では一致しています。


では、レレゲス人とカーリア人は同一民族だったのでしょうか? 私はより古いホメーロスの証言を重視して、レレゲス人とカーリア人は別民族だった、ただし、言語の面でも習俗の面でも類似した民族だったと考えます。そしてカーリア人が小アジアに住んでいたのに対して、レレゲス人はエーゲ海の島々に住んでいたのだと推測します。しかし、ホメーロスよりのちのヘーロドトスやトゥーキュディデースの頃になると、ギリシア人にとってはレレゲス人とカーリア人の区別があいまいになったのでしょう。それで上に紹介したようにヘーロドトス(あるいはヘーロドトスが話を聞いたというクレータ人)はレレゲス人をカーリア人の古い名称であると解釈し、トゥーキュディデースエーゲ海の島々に住んでいたレレゲス人のことをカーリア人と書いたのだと思います。カーリア人がレレゲス人とは別民族であったと考える別の証拠は、ヘーロドトスが書いているように、カーリア人自身が「自分たちは土着の大陸人」だと考えていたことです。前回ご紹介したヘーロドトスの記事をここでも引用します。

カリア人についてクレタ人の伝えるところは右のようであるが、カリア人自身はこの説には不賛成で、自分たちは土着の大陸人であり、昔からずっと今の名称を用いてきているのだと信じている。


同上

カーリア人自身は、かつてエーゲ海の島々に住んでいたという伝承を持っていなかったのです。



(右:キュクラデス文明の発掘物。メガラの近くのアッティカからの出土。キュクラデス文明の担い手の民族はまだ同定されていない。)

前回ご紹介したパウサニアースの記事では、レレゲス人の名祖であるレレクスはエジプトからメガラにやってきた、ということになっています。これはレレゲス人がメガラ創建に関わっていたことを示しているのだと思います。では、メガラの初代の王カールについてはどう考えればよいでしょうか? 私はこの伝説は、ギリシア人がレレゲス人とカーリア人を混同するようになってから出来た伝説だと考えています。この伝説を作ったギリシア人たちは、レレゲス人はカーリア人と同一であると考えて、カーリア人の名祖カールをもち出してきたのだ、と思います。つまりメガラの伝説においてカールとレレクスがともにメガラの王だったという話は、メガラがレレゲス人によって作られた、という同一の出来事を反映した伝説だと私は考えました。