神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

スキューロス(2):アキレウスと息子のネオプトレモス

若きアキレウスは、母親である女神テティスによって女装させられたうえで、スキューロスのリュコメーデースの宮廷に送られました。その訳は、女神テティスにはトロイアで戦死するという息子の運命が分かっていて、何とかその運命を避けようとしたからで、アキレウスをリュコメーデースのところに隠そうとしたのでした。テティスが運命の女神たちから聞いたのは、アキレウスには2つの運命がある、1つはトロイアで命を落とす代りに不滅の誉れを得るというもの、もう一つは、故郷のプティアに留まるならばすぐれた名誉は得られないが寿命は長いというものでした。女神であるのでトロイア戦争が起りそうだということを事前に知っていたため、テティスアキレウスをスキューロス島に隠そうとしたのです。女神はリュコメーデースにはきっと真実を告げず、人間の姿に化けていたでしょう。この娘はアマゾーン族のように男勝りに育ってきたので、王の娘たちの間にしばらく住まわせて、女性としての振舞いを身に付けさせてほしい、と、まことしやかに話したのでした(ギリシアの神々はよく人間をだますのです)。リュコメーデースには多くの娘たちがいました(息子の話は伝えられていません)。アキレウスが若い男だと知っていたら自分の娘たちと一緒に住まわせるようなことは危ないと思ったことでしょう。ですので、リュコメーデースは本当にアキレウス若い女性だと思っていたのでした。アキレウスはこの時、女性の名前でピュラーと呼ばれていました。あるいたイッサと呼ばれていたという説や、ケルキュセラーとも呼ばれていたという説もあります。


一方、ミュケーナイ王で権勢ギリシア世界に並びないアガメムノーンは、弟メレラーオスの妻ヘレネーがトロイアの王子パリスによって連れ去られたことに憤り、各地の王侯に従軍を募り、トロイアを攻撃しようとしていました。アガメムノーン王付きの予言者カルカースは、アキレウスが参加しなければトロイアは陥落しないと告げました。その後、どうやらアキレウスはスキューロス島に潜んでいるらしいということが分かり、イタケー島の王で知恵者のオデュッセウスが探しに行くことになりました。オデュッセウスは商人に化け、女性が喜ぶアクセサリーや化粧品を持ってリュコメーデースの宮廷に現われました。彼はリュコメーデースの娘たちにさまざまなアクセサリーや化粧品を出して見せたのですが、その中に鋭い剣や矢じりを混ぜておきました。リュコメーデースの娘たちの間にあって、女装したアキレウスは研ぎ澄ました剣に興味を持ち、ひそかに眺めていました。その時、敵襲のようなラッパの音が外から聞こえてきました。これはオデュッセウスの部下たちが外で鳴らしたものでした。とっさにアキレウスは剣を手に取り外に出ようとしました。こうしてオデュッセウスアキレウスを見破ったのでした。オデュッセウスアキレウスに従軍を懇願しました。そしてアキレウスは最後には同意したのでした。

(上:剣を手に取るアキレウス。ヘラルト・デ・ライレッセ作)



(上:オデュッセウスとディオメーデースに捕えられたアキレウスポンペイ出土の壁画)


この時までにアキレウスはリュコメーデースの娘のひとりデーイダメイアを妊娠させていたともいいます。あるいはこれは間違いで、アキレウスがミューシア遠征から帰って来た時にスキューロス島に寄航し、この時にデーイアメイアと結婚したのだともいいます。二人の間には息子ネオプトレモスが生まれます。ネオプトレモスは、アキレウストロイアアポローン神の矢に射られて戦死したのち、父親と同じようにギリシア勢に乞われてトロイアで戦うことになります。(トロイア戦争は10年間も続いたのでした。でもそう考えても年齢の辻褄が合いそうにないです。) それまでネオプトレモスはスキューロスで育ちました。


ホメーロスの「オデュッセイアー」では、冥界を訪ねたオデュッセウスが死者として冥界に住むアキレウスに出会う場面があります。そこでアキレウスオデュッセウスに、自分の父親ペーレウスが無事かどうかを尋ねています。オデュッセウスはペーレウス殿のことは知らないが、アキレウスの息子のネオプトレモスのことは知っている、と言ってアキレウスに話し始めます。

 こう言いますのに、私(=オデュッセウス)のほうでも、それに答えて申しますよう、
「ところがあいにく、誉れも高いペーレウスどのには、何の報せも
受けていない、だが君の御子息で仲よしのネオプトレモスのことなら、
知ってる限り、真実のところをお話しいたそう、お求めどおりに。
それも私が自身で彼を 空(うつ)ろに刳(く)った釣り合いのよい船にのせて、
スキューロス島から、脛当てよろしいアカイア勢の間へとお連れしたのだ。
それでいかさま、トロイアの城市(しろまち)につき、みなして評議を凝らすおりには、
いつでも彼は最初に話をはじめて、しかも論議のつぼを外(はず)さなかった、がただ
神にもひとしいネストールと私との二人には、及ばなかったでもあろうか。
・・・・・」


ホメーロスオデュッセイアー」第11書 510行あたり 呉茂一訳 より

ここで、オデュッセウスはネオプトレモスをスキューロス島から連れ出した、と言っています。ここからも、ネオプトレモスがスキューロスで育ったことが分かります。スキューロスの歴史をたどろうとする私にとって残念なことは、ネオプトレモスはトロイア陥落後、スキューロス島には戻らず、父アキレウスの故郷であるプティアに住み、アキレウスの館と領地を引き継いだ、と伝えられていることです。ネオプトレモスが去った後のスキューロスについては、情報がありません。